Milkのメモ帳

日々の思いつきを忘れないようにのメモ用です。

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貴方の尊敬する人物は誰ですか?


貴方の尊敬する人物は誰ですか?

もう少し硬い言葉で言うと、好きな経営者は誰ですか?

などなど・・・挙げるときりがないですね。

でも、私の中でダントツ1位の好きな経営者。いや、好きで尊敬する人物がいます。

土光敏夫

その人は土光敏夫です。

今の人は分からないかも知れません。でも、知る人ぞ知る名経営者なのです。

現在のIHI社長、その後、倒産寸前にまで陥った東芝の再建。そして経団連会長を歴任した人物なのです。

人間の記録 第190巻 土光敏夫: 私の履歴書

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清貧と復興 土光敏夫100の言葉 (文春文庫)

清貧と復興 土光敏夫100の言葉 (文春文庫)

IHIの社長となるまで

土光敏夫は石川島造船所に入社します。彼自身はエンジンタービンのエンジニアになりたい!という一心だけで入社しました。

そこで技術者として吸収できるものは何でも吸収しました。

あだ名は「土光タービン」

それほど一生懸命に時間を惜しんで勉強をしたのです。

その後、芝浦製作所(後に東京電気と合併し東京芝浦電気となる)と石川島造船所の合弁会社である石川島芝浦タービンに技術部長として出向します。

しかし、そこで社長に据えられてしまうのです。(後に語ったことですが、彼は社長職は非常に重圧が凄まじく出来ればしたくなかったと言いました。彼自身は技術者として生きて行きたかったのでしょう。)

第二次世界大戦後の大不況の中、石川島造船所は倒産の危機に瀕していました。

彼は本社の社長に突然呼びだされます。そして、重役達が会議をしていたため外で待つように言われました。そして中に入るように促され、言われたことは「君を我社の社長にする。」

目の玉が飛び出るほどびっくりしたはずです。

いくら社長をしたことがあるとは言え、それは子会社での話。しかも、本社が潰れそうだという大ピンチの時に自分を起用するという異常事態。

彼は、それでもそれを引き受け大胆に改革を行っていくのです。

その中でも一番有名なのは、IHIを創立したことです。


どういうことかって?

それは、石川島造船所と播磨造船所を合併させたのです。

そして、石川播磨重工業を誕生させたのです。これが後に頭文字をとってIHIと呼ばれる会社になります。因みに、IHIという社名はIshikawajima-harima Heavy Industries の略です。Hは播磨のHではありません(笑)

ここで、素晴らしかったのは合併させることにおいて派閥を作らせなかったことです。石川島出身だとか、播磨出身だとかそういうことでなく、一旦全ての人員をごちゃまぜにし、その中から必要な人材を各部門に配置しました。これが円滑に融和した要因となります。

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IHIは今や日本の重工業会社の重鎮です。ボーイングのエンジンタービンを始め、宇宙産業、防衛産業等で日本だけでなく世界で欠くことの出来ない会社となりました。

また、土光はいち早く海外への拠点作りに尽力した人物でもありました。

ブラジルへ現地の会社を設立し、現地の人々を雇い事業を発展させました。

東芝の再建

石川播磨重工業が軌道にのり安定し始めた頃、合弁会社を設立するなどして協力関係にあった東京芝浦電気(後の東芝)が倒産寸前に陥っていました。

そこでなんとか立て直しをお願いしたいと懇願され、彼は東京芝浦電気の再建に乗り出します。

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東京芝浦電気の状態は悲惨そのものでした。殿様体質というのでしょうか。

非常に高飛車な態度で商売を行っていたのです。

そこで、彼は会社全体に向け衝撃的な言葉を放ちます。

「諸君にはこれから3倍働いてもらう。役員は10倍働け。俺はそれ以上に働く。」

そして、本当にそうしてしまうのです。

役員達は夜遅くまで付き合いでの飲み会を行っていたため、出勤時刻がかなり遅かったようです。

土光は誰よりも早く出社して仕事を始めます。また、夜の付き合いもあまり行わないことで有名でした。


そして、彼は従業員から愛される人物でした。

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自ら工場を見て回り、そして自ら営業を行い続けたのです。

また、朝の1時間を社員と語らう時間として社長室の扉を開けていました。そのうち、1時間では足りなくなったのだとか。

その後、東京芝浦電気も安定し始め、彼は社長を自ら降りることにしました。


しかし、今度は日本が彼を逃しませんでした。

経済界を助けてくれと言われ、経団連の会長職を行うよう求められたのです。

本当に忙しい人です。

メザシの土光

彼は決しておごらず、そして謙虚でありました。

世間では「メザシの土光」として有名です。しかし、これはたまたまNHKの取材の時に、夕食のおかずがメザシだったというだけだったそうです。本人がそう言っていました。

しかし、豪遊したりすることはなく質素に暮らしました。また、教育に力をいれ、母が設立した女学校に寄付を行い子供たちの教育にも腐心しました。

ある時は国会議員への賄賂疑惑があり、警察からマークされるということがあったのですが、彼が社長でありながらバスで出社する姿を見て「彼は白です。彼がそのようなことを行うはずがありません。」として無事に疑惑は晴れたそうです。

私がなぜ土光敏夫が好きなのか

私は、土光敏夫が大好きです。

是非とも生きておられる時に、お話がしてみたかった。

何に惹かれるかというと、彼のこの言葉と姿勢からです。

「幹部はえらい人ではなく、つらい人だと知れ」

繰り返すようですが、彼は社長職に自ら成りたかったわけではありません。それは、正しく上に立つ立場の役割を認識していたからです。

上に立つ立場の人間は人徳がなければならず、そして決して威張るために上に立つのではない。

弱いものを助ける。そして自らの背中を見せることで育てる。

それを実践し続けた偉大な人物でした。


「相互信頼を本物にするため、まず自分が他から信頼される人になる。信頼される人になるためには、どのような行動基準が求められるのか。この五カ条はわかりきったことかもしれない。しかしわかりきったことが、なかなか行えないのである。
一、相手の立場になって物を考える
一、約束をきちんと守る
一、言うことと行うことを一致させる
一、結果をこまめに連絡する
一、相手のミスを積極的にカバーする


「「人はその長所のみとらば可なり。短所を知るを要せず」この荻生徂徠(おぎゅう・そらい)の言葉は誠に感銘深い。完全な人は存在しない。どんな人にも長所短所が必ずある。そこに人生の妙味があるはずである。ところが、人が人を見る場合、とかく長所は見たがらず、短所を見たがる。飲み屋でのサラリーマンの会話を聞いていると、そのことがよくわかる。職場でも短所をあげつらう減点主義が横行している。こんなマイナス評価は、人の心を腐食するばかりだ。短所を知るを要せず。

因みに、私は会社の飲み会での仕事の愚痴が大嫌いでした。そう思うならそうすればいい。ただそれだけなのに、しもせずに愚痴だけを言う。そして、誰が悪い会社のこれが悪い。ただその不毛な愚痴を言い、後輩たちにその”腐った”体質をそのまま引き継がせる。

聞いているだけでうんざりでした。なぜしないのですか?と問うたこともありました。それはしても無駄だからだそうです。

なら口に出すな。口に出したところで何も変わらないじゃないか。もう、本当にうんざりでした。



土光は、一生懸命に努力することを評価しました。

「会社で働くなら知恵を出せ。知恵のない者は汗を出せ。汗も出ない者は静かに去っていけ。」


私は、今でもこの人物が好きです。

彼は仕事へのやりがいを求める人物でした。

「賃金と仕事の関わり合いについては、いろんな立場からの様々な議論があろう。けれどもそれらを超えていることは、人間の喜びは金だけからは買えないという一事である。賃金は不満を減らすことはできても、満足を増やすことはできない。満足を増やすことのできるのは、仕事そのものだといわねばならぬ。どんな仕事であろうと、それが自発的主体的に行動できるような仕事になってくれば、人々はそこから働きがいを感ずるようになるのだ。



現代もてはやされる名経営者とは違うタイプの人物かもしれません。

ですが、私はこの人の元で働きたい。そしていつか、この人のようになりたいと思うのです。

改めて問います。


貴方の尊敬する人物は誰ですか?