Milkのメモ帳

日々の思いつきを忘れないようにのメモ用です。

Milk's Memo Note

日々の思いつきを忘れないようにのメモ用です。

大学は「教わる」ところじゃない。学問を求める場所だ。

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少し考えさせられる記事がありました。

vt-maguna.hatenablog.com

私は、家庭的に貧しかったので、地元の国立大学以外の選択肢はあり得ませんでした。

それは、ある程度納得していましたし、自分が勉強をしたいかどうか。

それをよく吟味する機会ともなりました。

実はそれほど大学に行きたくなかった

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私が、大学に行く決心をしたのは、だいぶ遅く高校3年の中旬ぐらいだったでしょうか。

本当にそれまで、「何の為に大学に行くのか。」それが頭から離れず、親のお金を無駄にしてしまうことが怖かったのです。

ある時、模擬試験の送り迎えを父親がしてくれた時に、父が私に話をしてくれました。

父「今日の模試どうだった?」

Milk「うん・・・まぁまぁ、だったよ。でも、大学に行く理由が見つからないんだ。それよりも、家の手伝いをした方が良い気がするんだよ。」

父「なぁ。大学はな。考え方を学ぶところだ。そして、その時しか感じることが出来ない4年間なんだ。だから、出来ることなら行った方がいい。俺はそう思っているよ。」

あまり、進路のこととか、勉強をしろとか、とやかく言う親ではありませんでした。

「自分のことは自分で決めろ。」

そういう家でしたから。

でも、久しぶりの父親からのメッセージでした。父親の気持ちを素直に伝えてくれた瞬間でもあったのです。

なんだか、少し心が動かされた気がしました。

大学に行ってみよう

そのメッセージに素直に従ってみることにしました。

それは、責任転嫁しているのではなく、人生の先輩、そして親としての助言という意味で、私の知らない世界を知っているのだから、それを受け止めてみることも一つの手ではないか?と感じたからです。

ただし、学部の選択は自分自身で探しました。

出来るだけ興味がある学部にしよう。

そうでないと、勉強に身が入らないからね。

と言いながらも、家業を継ぐことを意識して「建築学科」を選択してしまうのでした(笑)

しかしながら、撃沈。実は、私の大学はちょっと特殊で、希望を複数出すことができ、学力に応じてその他の希望学科に学力が満たしていれば入れてくれたのです。

そして、コンピュータにも興味があったので、2番目に希望を出していた「情報工学科」に入ることが出来たのです。

つまり、私は実は大学受験を失敗しているのです(笑)

しかし、運良く滑り止めの学科に入り、そこでコンピュータの世界と出会うことになります。

大学は研究機関である

皆さんがどう感じているかは分かりませんが、私は大学に通った結論として、大学は勉強を教わるところではないと思っています。

つまり、研究機関です。

大学の本当の意味のある時間は、最後の1年間の卒論にあります。(又は、理系になれば修士の追加の2年間も大切です。)

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それまでの3年間は基礎学力を身につける時間で、この最後の卒論の研究によって、新規性を発明することが大学の最終目標なのです。

ですから、大学の価値は、その研究室の研究内容に直結していきます。

新しい技術を開発できない研究室で構成された大学は、その価値を失うのです。

極論を言うと、私はそのような意味のない研究室を抱えている大学は、「大学」という看板を下ろすべきであると考えています。

それは、専門学校や職業訓練学校と変わらない。生徒が先生から「教わる」という認識から脱皮できていないからです。

このことは高校の延長という捉え方と変わりません。

大学入試の究極的な目的は、教授たちは「天才的な部下」を探しているのです。そのために、多くの学生を集め、そしてその中から吟味しているのです。

これは、教授が露骨にその発言をしたことから、「本当はそう思ってるのだな」と身にしみて感じました。

その時はショックでしたが、今では妥当な発言であったと思っています。

大学は研究機関である。

それが真の姿です。

多くの学生は勘違いをしている。大学は教えてくれる場所ではありません。

自ら学問を探求し、そして新しい部分を見つけ出す。そのような場所なのです。

つまり、自らが行動しなければ、意味のない4年間になります。

「考え方を学ぶところだ。そして、その時しか感じることが出来ない4年間なんだ。」

父がどのような意味で、この発言をしたのか、その真意は分かりません。

しかし、私は学問とふれあう。そして、自ら学ぶ姿勢を身につける時間なのだと理解しました。

高学歴の真の意味は?

高学歴社会。

私は地方のバカ大学卒ですから、学歴コンプレックスを持っています。

今の職場でも、周りは東大や京大、慶応、明治・・・沢山の高学歴な人で溢れています。

その中で、自分の能力に疑問を持つ時があるのは認めます。

そして、学閥も確かに存在するでしょう。

まぁ・・・それが嫌なら、辞めて自分の会社を作るまでです。

高学歴を求めることは悪か?

私は、会社や社会は必然的に高学歴を求めるのだと思っています。

少し、逆に考えてみて下さい。

有名大学卒だから、就職が有利なのではないのです。

生徒が優秀だからこそ、結果的に採用する学校が集中してしまうのです。

これは、聞いた話ですが、大学名に左右されないようその部分は隠して採用を行う実験をした会社があるそうです。

結果。

採用基準を満たした生徒は、有名大学卒で埋め尽くされました。

これは個人的な見解ですが、やはり自主的に物事を考えることが出来るかと、能力的に優秀かという点を求めれば、結果的に有名大学に行き着くということになるのだと思っています。

そして、もっとたどれば、その大学は最先端の研究室を持っている。

その研究室の中で、学生同士研磨され、そして教授の前で持論を展開しなければならない。

教授と対等に闘わなければならない。

それが出来る生徒は、自ら吸収し続ける、そして学問を追い求める人間です。

これを脳裏に焼き付けられたのは、私の大学が東大と共同研究を行っていた時でした。

私の研究室の教授が、東大の研究室とつながりが有り、共同研究を行うことになったのでした。

あまりにハイレベルな話になってしまい、私達はついて行けないお手上げ状態。

しかし、東大の生徒たちは、教授に辛辣に追求をされながらも、持論を展開し自分の研究を形にしようとしていました。

その様子を見た時に、「あぁ・・・根本的に違うんだ。俺は甘い。甘すぎる。」と感じたのです。

こういう人材を、会社や社会は求めてる。自ら探求し、学問を極め、そして興味を持ち続けてアクティブである人間を。

だから、就活で「大学で差別されている!」と不満を言う子たちがいます。

それはね。当たり前なんだよ。

彼らの時間の使い方の密度は違う。君たちの4年間。或いは6年間の重みと違う。

だから、今になって文句を言うんじゃない。

そうなる前に、有益な時間を過ごしなさい。

それが、今私から学生たちに言えるアドバイスです。

そして、高学歴を求めることは悪ではないと思っています。

ただし、その追い求め方として、「就職に有利だから」とか「大企業に勤められるから」という理由を主眼にすると楽しくないです。

ここは私の主観です。ごめんなさいね。

これらを主眼におけば、人生が楽しくない。

学問を極めること。知らないことを追求すること。それが楽しいことなのです。

それを教えてあげて欲しいと思います。

ワクワクするでしょう? だって、知らないことを知ることが出来るのですよ? 今までと世界の見方が変わります。

そして、世の中は自分の知らないことで溢れています。それは一生の中で吸収しきれません。と言うことは、学べることはいつまでも存在するのです。

さて、話しを少し大学に戻しましょう。

それを思うと、結論としては有名大学に行くことが出来れば、研究設備が整っています。

そして、優秀な教授や生徒が多くいます。その人々から受ける刺激は、本当に人生に大きな影響を及ぼすでしょう。

ですから、私はそういう意味で、高学歴を求めることは悪ではないと考えています。

勉強したいなら、勉強をしたらいい。そして、勉強することは楽しい。その楽しみを、是非とも親御さんはお子さんに伝えて欲しい。

そう思うのです。

最後に

さて、長文になってしまいました。

結局の所、私が言いたかったことは、「学問は楽しいよ。そして、それを深く追求できる人間を社会は求めている。」と言うことです。

だから、自分が面白いと思えること、それを深く追求できる大学を探しましょう。

トップクラスの研究室を持っている場所を選択するなら、結果的にそれは難関大学になるでしょう。

高校生の早い段階で、大学のオープンキャンパスに参加することもいいでしょう。

大学とはどういう場所か、よりリアルに想像出来るようになるでしょうね。

また、今、大学生のあなたも、遅くはありません。

例えば、大学院で有名大学に進学して勉学に励むという手も残されています。

要は、自分の気持ちや、努力次第なのです。

確かに、世の中が高学歴社会の様に見え、自分を拒否しているように感じるかもしれません。

しかしながら、色んな手はあります。

その場に止まって不満を述べるよりも、前を向いて楽しくこけた方がいいじゃないですか。

私は、頭が良くないので、後者の様に生きなければなりませんね。

仕方ありません。でも、何もしないで立ち止まるのは悔しい。

離されていくのは分かっていても、止まればあっと言う間に離されていきます。

でも一生懸命に走れば、相対的に離れていく時間は遅くなる可能性があります。

そうでなければ自分が許せない。

だから、今に不満を述べるよりも、今出来ることを精一杯する。

そう思って過ごすことにしています。

きっとその方が楽しいから。