Milkのメモ帳

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お母さんと姉妹になった母


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こんにちは。Renaです。
今日は私のお母さんの話をします。

私の母は自らの母親と、戸籍上姉妹になっています。

…意味がわからないと思いますので流れを説明しますね。

祖母の人生

母の母、つまり祖母は小学校の先生をしていました。

曽祖母のたっての希望でこの職についたようです。

優秀で自分や他人に厳しく、ミスコンで賞を取るほどの美しい女性だったそうです。

祖母は新聞記者の方と結婚し、母をもうけました。

が、相手の方が忙しくてケンカも多かったようで離婚。

その後別の方と再婚しましたが、その方とは死別。

今度は3度目の結婚をしたのです。

自由が丘にお家があったらしく、母はその時の思い出を楽しそうに話してくれました。

その頃、今から50年以上前には珍しく、黒人さんが近所に住んでいたり、バイオリンを習っているお友達がいたり、自分の家にもお手伝いさんが数人いたそうです。

…うーむ、だいぶリッチだったみたいです。羨ましい。

祖母の死

けれど、その幸せも長くは続きませんでした。

祖母が亡くなってしまったのです。

29歳という若さでした。

私も現在アラサーですが、29歳までに3回結婚する、というのは随分密な人生を歩んだのだと想像します。

問題になったのは母の親権をどうするのか、ということでした。

祖母の最後の旦那さんはとてもいい方で、引き取って大事に育てます、と言ったそうなのです。

が、曽祖母が「直接血縁がない者といるのはかわいそうだ」と引き取り、自分の子供として養子縁組しました。

母親はお姉さん

かくして、母は曽祖母、つまり母にとってのおばあちゃんの子供になったのです。

母の戸籍はぐちゃぐちゃです。

父親が4回変わっていることになります。

最終的にはおばあちゃんの子供になったので、自分の母親とは戸籍上母であり、姉であります。

親戚の中の母

母方の親戚の中で母は宙ぶらりんの存在です。

周囲によって都合よくその立場は変えられます。

お金を出し合う際は曽祖母の他の子供たちと兄弟のように扱われます。

しかし家の方針に意見を出す際は一段下の存在になるのです。

まあ、元から分家なので本家に対して発言権がないのは仕方ないのですが、母は日頃から何をしても例の兄弟からダメ出しをくらいます。

子供の私から見て、「お前のことを思って言っている」という言い訳付きの悪口に聞こえました。

親戚も悪い人間では決してないのですが、ストレスのはけ口として母がいるような感は否めません。

母の人生

母は本当の両親と暮らすこともなく、「どうしてこんな目に」と半分恨みながら悲しみを抱きながら生きていたようです。

母は小学校の先生になりました。

子供の頃からの夢だったからと言っていましたが、自分の親が同じ小学校の先生だったことが影響したり、曽祖母が厳しい人で、その期待に応えるためにその道を自然と選んだのではないかと私は思っています。

母の素養的にはもっと芸術家的な、クリエイティビティを発揮するような仕事が向いていたはずです。

そんな母も結婚して二女をもうけました。

が、肝心の旦那さん、つまり父とは死別。

結婚生活は5年程度でした。

つくづく「家族」という形と縁のない人のように思えます。

私も母が再婚するように促せばよかったのですが、どうも小さい頃に「本当の父親はお父さんひとりでいい」と言ったらしく、母はその言葉を20年以上守って独りでいます。

生きねば

最近母から父の法事のために夏頃帰省するよう電話があり、なんとなく思い出して書いてみました。

母は孤独な人生を歩んできましたから、その心の支えになれるよう、私自身も親の期待に応える努力をする、悪く言えば親の顔色を伺う子供として育ちました。

誰が悪いわけではないのですが、あえて言うなら、「若くして死ぬことほど悪いことはない」と思います。

優秀な祖母は29歳で亡くなり、曽祖母にとって最も親不孝な娘になりました。

私の父も40歳程度で亡くなり、我が家は母子家庭になりました。

死者に鞭打つつもりはないのですが、やはり残された者のこれからを思うと、人が1人いなくなるということの影響は大きいです。

私はメンタルを患った際、死のうとしたこともありますし、母に死にたいと言ったこともあります。

随分とひどい娘です。

母に家族を失う苦しみをまた味わわせるところでした。

せめて母の最後を看取るまでは生きなければと思う今です。