Milkのメモ帳

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いただきますは宗教?ホームステイで変わった宗教観


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こんにちは。Renaです。
突然ですが宗教ってどう思いますか?

ちょっと怪しいイメージ?勧誘が激しいとか?

日本人は無宗教の方や普段自分が仏教徒であることを意識していない方が多いので拒絶反応が強い気がしています。

カナダでの経験

私もそれまでは宗教に対してあまりいい印象は抱いていなかったのですが、学生時代のカナダへの短期ホームステイで考えが変わりました。

いただきますは宗教!?

現地のホストファミリー宅で初めての食事の時、私は普段の癖から、手を合わせて「いただきます」と言いました。

しかし、その瞬間、食卓の雰囲気が固まります。

何かを察知したホストファミリーのお母さんが言いました。

「あなたの家庭ではそれ(いただきます)をするように、我が家では食事前に聖書を読むのよ。一緒に付き合ってもらえる?」

なるほど、と思いました。

私は無宗教のつもりでそれまで過ごしていましたが、「いただきます」を言う精神はもう立派な宗教(神道・仏教)です。

作ってくれた人、命を捧げてくれた動植物への感謝を表すという考え方自体がある種の信念や世界観から生まれたものであると気付かされました。

日曜の教会

日曜日はホストファミリーが教会に連れて行ってくれました。

カトリックだかプロテスタントだかわからないのですが、牧師さんだか神父さんだかの話を聞きに行くそうです。

初めて行く本場の教会は、荘厳な雰囲気というよりも、集まったご近所さんで和気藹々と賑やかなイメージでした。

互いに「おう!元気か?」「久しぶりじゃないか!!」などと声を掛け合っています。

パブで会った人たちのような軽いノリで挨拶をしたり近況報告や雑談をしたりしています。

どうやらこの教会は地域のコミュニティを親密にするために一役かっているのだ、ということが雰囲気からわかりました。

プログラムははじめに神父さんだかの話があり、子供達は別室に連れていかれ作業(何をしたのかは知りません)、残った大人たちは賛美歌?を歌いまくると言ったものでした。

驚いたのは歌い終わった人々の表情です。 カラオケでストレス解消するように、全身全霊をかけて歌った人々は清々しい表情に満ちていました。

地域コミュニティへ馴染むこと、日頃のストレスを解消することなど、この教会への集まりが人々の心の支えになっている様子が見て取れました。

学んだこと

ということで、それまで自分は無宗教で、宗教はちょっと怖いと思っていたのですが、ホームステイからそれらのイメージが変わりました。

ひとつは私たちは無宗教なんかではなく、「いただきます」「ごちそうさま」を言うなど、ある世界観をすでに持っている=宗教を持っていること。

例えば輪廻転生とか色々なものに神様が宿っているとか、動植物でもひとつひとつの命を崇めなければならないとか。

生活に馴染みすぎてわからなくなっている場合が多いですが、逆に言えば食事前に聖書を読む家庭も、それが普通のことになっているのです。

自分の常識が世界の常識ではない、自分の信じているものが全てではない、ということをもっと意識して生活しなければ、宗教の違いから誤解が生まれ、争いに繋がる危険性を秘めていると感じました。

もうひとつは宗教は必ずしも悪ではなく、人々の心の支えとして機能している面があること。

教会でのミサのように、地域コミュニティを繋げる役割を果たし、日頃のストレス解消に繋がるなど、いい面もあるのだと学びました。

新興宗教が人々を勧誘し、その弱みに漬け込み、お金を巻き上げるイメージがどうしても強かったのですが、全ての宗教がそれというわけではないのです。

もっと人の根本に根ざしたところにあって、精神の拠り所になっている場合がだってあるのだと感じました。

さいごに

異なる価値観を持っている人と理解し合うためには、自分と他者との根本的な世界観の違いを認識しておく必要があります。

いただきますを言うのが皆にとっての普通ではないこと、その行為の根っこには個人の宗教観があること。

これをいただきますだけでなく自分の行為や考え方の色々なところに見いださなければ、他の世界観で動いている人との間に軋轢が生じます。

自分の信念は何で、世界観はどんなもので、ということを意識的に考える必要があると感じました。

今日はちょっと真面目な話をしました。

もちろん、無理な勧誘や弱者からお金を巻き上げるシステムの宗教には私は反対です。

しかし、世の中それだけではないのだと思っていただければ幸いです。