Milkのメモ帳

日々の思いつきを忘れないようにのメモ用です。

Milkのメモ帳

神は人のためにいるのではない。神のために人はいるのだ。


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Photo by Michael D Beckwith on Unsplash

こんにちは。Milkです。
今回は、かなり感情的な話になるでしょう。

私は、宮森はやとさん(id:dandy611)が嫌いです。

なので、普段は記事を見ることもしないし、無関係なのだから私から何か接触を図ろうなんて思ったことはありません。

その人が考える人生。色々思うことはあるけれど、その人がそうしたいと思うなら、そうすれば良いと思う方だからです。

人としての芯が無い人間は嫌いです

私が嫌いな人間は、人として「芯」や「ポリシー」が欠如している人間です。

普段、私は”嫌い”というワードは使いません。

”苦手だ”とか、”私には合わない”と言った言葉を使って、あくまでもその人が傷つかないようにしているつもりです。

しかし、断言します。

私は、この人が嫌いです。

それは、前に記述したように、物事の考え方に一貫性がないからです。

人間は年月を重ねると共に考えが変わる。

最初から正論を述べよと言っているわけではないし、正論とは人それぞれの中にあるので、一つに答えが統合出来るわけではない。

しかしながら、自分の中で何かしらの「答え」を見出そうとすることは出来る。

それが、自分の人生観だし、行動指針になるのです。

また、年月が経つと、人は経験則やアドバイスから、その人生観を上手に軌道修正していくことでしょう。

ですから、言っていることが初期の頃と変化していてもよいと思っています。

所謂、「君も丸くなったね。」ということなんでしょうね。

意図的に考えないのか、それとも能力が欠如しているのか。

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しかしながら、自分の未来を無計画に進める人間がいます。

彼らは「自由」を掴んでいるつもりなのでしょう。

しかし、それははっきり言って、「行きあたりばったり」の生き方と何が違うんでしょうね?

自分に酔っているのですよ。

自分はまだ可能性がある。

自分はまだ何かを見つけられていない。

自分はまだ人生を賭けるほどの物事に出会えていない。

ええ。そうでしょうね。あなたには見つけられないでしょう。無計画なのですから。

計画的に、しっかり前を向いて真剣に自分に向き合った人間であっても、これらは永遠のテーマです。

衝動的な行動によってこれが掴めるのなら、地球の人間全てがハッピーでしょうね。

ですから、思うんです。

こういった人は、「意図的に考えないのか、それとも能力が欠如しているのか。」

どちらにせよ。理解しかねます。

私の行動指針は、「仮に子供がいたとして、自分が子供に同じ背中を見せてあげられるか」です。

それによって、私は常に自分に向き合っているつもりです。

神は人を救うために存在するのではない

私がこの記事を書こうと思ったのは、宮森はやとさん(id:dandy611)があまりにも宗教について無頓着で知識不足であるためです。

www.miyahaya.com

当初の記事のタイトルは、「宮森はやとはカトリック教に入信することに決めました。」でした。

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私がTwitterでTLを眺めていた時に、たまたま流れてきたのです。
(恐らく指摘があったのでしょう。記事名が変更されました。)

こんな意味不明なタイトルの記事が・・・

呆れましたよ。カトリック教なんてありませんから。

これは入信する以前の問題です。一般教養として、”カトリック教”なんて存在しないことは明白。

一体全体、カトリック教とはなんだ?

じゃあ、プロテスタント教とか言う、よく分かんない組織と対立を続けてきたのか?

社会の教科書を読み直せ。というか、義務教育からやり直せと言いたい。

仏教と神道を混同しているのと同じぐらいに恥ずかしいレベルです。

まぁ、いいでしょう。入信してこれから知っていくのでしょうから。

入信した理由は、アルコール依存症を治すため

この記事を要約するとこうなります。

  • 多量の飲酒によって記憶をとばしてしまった
  • 恩人を呼び出したらしく、それも記憶にない(呼び出したのに泥酔状態)
  • その後にその恩人と和解したが、自分がまた同じ過ちをおかしそうで怖い
  • 宗教に入ることで解決するのではないか?

しかしながら、前提条件があります。

この人物は、これが初めてのお酒の失敗というわけではないのです。

そもそもが、アルコール依存症なんですよ。

アルコール依存症とは病気です。気力だけでどうにかなるとかの話ではありません。

宗教とは、精神的な支柱になることは確かではありますが、それによって万事が解決ではないのです。

精神的に整えながらも、医学的な治療を受ける。それが正しい道でしょう。

何かを勘違いしているように思えるのです。

つまりです。

自分自身のポリシーが欠如していることです。

本気でアルコール依存症を治したいならば、しかるべき機関を利用して治療を行うべきです。

精神的に頼る場所が欲しいなら、宗教によって心を鎮めるというのも一つの方法でしょう。

ですがね。そもそも、神は人を助けるために存在はしていないのです。

人は神に頼ることによって精神的な安定を保っている

さて、この人がどれだけキリスト教を理解しているのか分かりかねますがね。

人間とは、神に反逆を起こした種族です。

ですから、神から即刻に滅ぼされても文句は言えないのです。

つまり、「生かされている。」状態と言えるでしょう。自らの力によって、言い換えると、「神」を排除した状態で人間は生きていけるのかを試す猶予として、この今の時間は与えられています。

だから、神からすれば、人に手を差し伸べる必要性は何もないのです。

しかし、神は人を愛するが故に、頼る人を精神的に支え続けているということなのです。

ですから試されるのは、いかに人間が神に対して忠誠心を示せるかという部分になります。

これがオカルト的に極端に表現されると、「IS」のような過激な思想になるのです。

しかしながら、宗教とは元来、人が「神に受け入れられるために命を差し出しても良い」と本当に思えるかという部分で自己対話を行います。

だから私はカチンと来たのです。

何かのスポーツクラブに入るかのように、「カトリック教に入信したよ!」とか意味不明なことを言うことが。

宗教に入る以前の問題

アルコール依存症とは、断酒をすることが必要な部類の病気です。

http://www.morioka-clinic.com/alcohol2.htmlwww.morioka-clinic.com

記事を読みなおせば分かります。

アルコールを既に摂取している!

はっきり言って、治す気が無いんですよ。

それを宗教に入れば治せるなんて。無礼にもほどがある。

この人物が心配しているのは、再度アルコールを摂取した時に粗相をおかすことを恐れているのです。

つまり、断酒が前提ではない。

毎度、神父に懺悔をすれば許してくれると思ってるんでしょうかね?

神父は神ではありません。神父が許しを与えたとして、神が許しを与えている保証がありますか?

そもそも、神に許しをもらえたら終わる問題なのですか?

入信する動機が不純なのです。「神に愛を感じた。だから神を悲しませたくないので、ちゃんと断酒する。ですから、神様。助けて下さい。」なら話は分かります。

そんな理由が書いてありました?

「また、粗相をおかすかもしれない。それは嫌だ。尊敬する将棋棋士がカトリックの信者らしい。だから入信しよう。」

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Photo by Ben White on Unsplash

どこに神への信仰心が入っていますか?

だから私はコメントしたんです。

すると、リプライでなくリツイートで答えてきました。

いったい誰にアピールしてるんだか・・・

最後に

本気で宗教に興味があるなら、比較検討したのでしょうか?

洗礼を受けるということは、ある程度その宗教について理解し、それを守ることを神に誓う行為です。

それを知らずに最初から洗礼を受けようなんて考えている時点で、無計画なのです。

自分の人生を神に捧げるという行為なのに、その意味をなにも知らないのでしょう。

きっと答えられないはずです。

なぜ、カトリックなのですか? 仏教や神道ではダメなのですか?

他のイスラム教でもよいのではないのでしょうか?

ユダヤ教とキリスト教との違いはなんですか?

キリスト教には、どうして多くの宗派があるのですか?
(他の宗教も然り。)

神に身を捧げるということをどのように理解していますか?

宗教という世界は、精神的に弱い人が入り、精神を鍛えるために入信するのだと思われがちです。

寧ろ逆です。精神的に強く、そして自分を犠牲にしてでも、神への忠誠心を示すという強靭な精神力が試される場なのです。

これから先は、”神”と個人との対話です。

私が申し上げることは何もないです。

そして、私はもう無神論者なのですから。