Milkのメモ帳

日々の思いつきを忘れないようにのメモ用です。

Milkのメモ帳

治ると考えるのではなく、上手く付き合うと考えて下さい。


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こんばんは。Milkです。
少し、病気のことについてあちこちで記事があったり、コメントをいただいたので思うことを書きます。

私は、精神疾患を患っており、休職中です。

身体表現性障害

あくまで、これはストレスが体に症状として表面化しやすいという体質のことです。

パニック障害の症状に近く、軽いうつ状態も併発します。

精神疾患は、うつ状態を基本として、他の精神疾患を併発しやすくなります。

つまり、巻き込んで組み合わさっていくのです。

これにより、個人によって耐えられないストレスに対する身体への症状の表面化が異なります。

「この病気は治らない。」

これを医者から言われた時。

あなたは何を思いますか?

「治ると考えるのではなく、上手く付き合うと考えて下さい。」

厳密に言うと、これは看護師の方から言われた言葉です。

私は、最初、これが受け入れられませんでした。

医者からは、「Milkさんは、ストレスが体の症状として出やすい体質なのです。それを理解してください。」と言われました。

正直、理解できなかった。

いや・・・理解したくなかった。

私は弱いのか?

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最初に頭によぎった言葉。それは、「お前は弱い」でした。

自分で言うのは本当に恥ずかしいですが、私よりも偉い人たちから「君は、出世する。事業部長クラスにはなれる器だ。」と幾度か言われたことがあります。

だから自信が持てたということはないのだけれど、異なる人から言われたので、他人から私はどのように見られているのだろうと不思議にいつも思っていました。

因みに、事業部長クラスとは、執行役員に相当します。

どこかで、自分にそういった素質があるのかも知れないという思いと、何も取り柄のない自分がなぜそのように見てもらえるのか分からないという気持ちが入り混じり、もんもんとしながらも仕事を一生懸命に行っていたのです。

そして、何となく「いつかは、周りを率いるリーダーとなることになるのだろう。」というおぼろげなイメージだけは膨らんでいました。

妄想に近いですけどね。

でも、「この病気は治らない。」と宣言されたとき、「お前にはその器はない。」と宣告された気がしました。

そして、これから先、ずっと苦しみ続けないと行けないのかという気持ちも同時に発生しました。

決して、治りはしない。

私は、これを背負いながら、周りに迷惑をかけたり、上手く自分をコントロール出来なかったり、欠点を持った人間になったのだと感じました。

休職している間。私はずっと考え続けました。

私に何か価値があるだろうか?

こんな弱い人間に価値があるのだろうか?・・・と。

価値は自分で決めて良い

最近、読む専門書があります。

「燃え尽き(バーンアウト)症候群」

これは、一見正常に見えていた人物が、突然に豹変してしまう、或いは無気力な状態になって行動できなくなってしまう状態です。

この状況に陥りやすい人は、

  • 正義感が強い
  • 他人を援助するということに使命感を持っている
  • 高い理想を持っている

などと言った性格の特徴を持っています。

これは、援助職(医者、看護師、ボランティア、介護師等)に、この「燃え尽き症候群」の発症は多いのも特徴的です。

高い理念と正義感を持って、献身的に、また自己犠牲的に相手のために尽くすという役割を持った職種であるためです。

ここで「燃え尽き」が発生する人は、自分のエネルギーを他人に分け与えることに尽力し、エネルギーの補給を受けることが出来ないことが原因です。

つまり、何が言いたいかというと、周りから「あなたのおかげで助かった。」という気持ちを受け取れた時に、初めて、自分の存在意義を定義できるタイプの人間ということです。

他人から価値を認めてもらうことで、自分の価値を安定させる。

だから、認められない場合は、「自分に落ち度がある。」と感じ、限界を超えてまで期待に応えようとする。

専門書に書かれていたこと。

それは、他人にエネルギーを分け与えることと同時に、自分で自分の価値を定めること。

そうでなければ、自分でエネルギーを補給できない。

いつかエネルギーは尽き、「燃え尽き症候群」として、豹変したり無気力のうつ状態に陥る。









私にとっては、驚きの言葉でした。

自分で自分の価値を定めていいの?

Renaに何回か言われたことがあります。

「あなたは、あなたの人生を生きるべきだよ。」って。

まだ、これといって答えはありません。

でも、何かの光は見えた気がします。

一生付き合う病気

少しだけ前の話に戻りましょうか。

「この病気は治らない」と宣告された時に、あなたは何を感じるでしょうか?

これは、身体的な病気と精神的な病気によって、受け取り方は異なると思います。

私は、精神的な病気のことについて書きましょう。

先ほど書いたように、私は上手くこれを飲み込めませんでした。

君は普通の人に比べ、欠陥があると言われているように感じたからです。

欠陥と捉えるべきだろうか?

ある日のこと、それは昼食を食べながら外を眺めていた時です。

私は、一人でぼーっと考え事をしながら、時間を過ごすことが好きだったりします。

一人の時は大抵、何かのことについて考え続けています。

何がきっかけか分かりませんが、強い日差しが差し込む窓を見て、頭に浮かぶものがありました。

「障害を持っている人を見て、私がその人の人生を”可哀想”だと定義する権利はあるだろうか。」

障害を持つとは、様々なタイプがあります。

身体的な障害。

精神的な障害。

能力的な障害。

でも、その人々は、自分の出来ることを精一杯しているし、自分の人生が”可哀想”だとか”不幸”であるということをアピールしたりしない。

その方々は、自分の人生の価値を自ら定義することで、幸せを獲得しているのではないだろうかと。

昔、理解できなかったことがある

私には、その当時理解できなかったことがありました。

聖書の中には、アダムとイブが「永遠の知識の実」を食べることによって、神に反逆を起こすということが書かれています。

神に忠誠心を示す為に存在した、「永遠の知識の実」。

しかし、それを食べることは神への忠誠ではなく、独立を望むという選択を表明したことになりました。

これにより、事前に約束された通り、彼らは「エデンの園」から追放され、病気等によって寿命が設定されることになります。

不完全さとして、感情面での制御や、身体的な問題も発生することになりました。

では、その人々は神を呪ったりしないのか?

私にはそれが理解できませんでした。私なら神を呪うだろうと・・・

当時、そのことを正直に聞いてみたことがあります。しかし、その人は神を恨んだりしたことはないと言っていました。

今、ふとそれを思い出しています。現在は、私も何かを掴みました。

私はクリスチャンではありません。ですから、その方とは異なる解釈になっているでしょう。

人は何かしらの欠点を持っている。欠陥と言い換えても良い。

それに大小はあれども、何かが不足したり、欠落したりしている。

でも、その人が”可哀想”であったり、”不幸”であることは、誰が決めるだろうか。

私から見て、他の人が”可哀想”だと思えるのは、恐らくは「私の基準」で見ているからだ。

その人は、自らの人生を全うし楽しんでいる。だから”可哀想”ではない。

つまり、己の人生の価値、己自身の価値。それは自ら定め、そして楽しんで良いのだ。他の人に委ね、承認を得る必要はない。

そう考えることが出来るのではないだろうか?と思うのです。

最後に

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私には、精神疾患があります。

過度にストレスがかかると、身体表現性障害という形で、嘔吐、不安、恐怖が発症します。

そういった、ストレスが体の症状として表れやすい体質なのだそうです。

誤解を恐れずに言えば、皆さんも何かしらの「欠陥」を持っているでしょう。

気づいていないだけで・・・

あなたは、他人を絶対に不快にさせないという自信はありますか?

それはないはずです。でも、自分の人生に満足し、楽しむ権利はあるし、そうあるべきです。

だから、私も、自らの価値を他人からの評価で構築するのではなく、自ら定義して生きることが大事なのではないだろうかと思い始めました。

正義感がある。自己犠牲的である。そして、理想を持って向上心がある。

決して悪いことではありません。

寧ろ大事なことでしょう。だから、自分を信じ、自分を大事にして生きてみよう。

私だけにかけられた言葉ではないのかもしれない。

「治ると考えるのではなく、上手く付き合うと考えて下さい。」

それでは、今回はこの辺で。

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