Milkのメモ帳

日々の思いつきを忘れないようにのメモ用です。

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仕事が出来る人は正義で、出来ない人は悪なのか?


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こんにちは。Milkです。
仕事に復帰して数日経ちました。今の気持ちを書こうかなと思います。

ある日、何気なくtwitterを眺めていたら、これが流れてきました。

この発言自体にもびっくりしましたけど、今私が精一杯仕事をしている中で幾らか感じることがあります。

仕事は生きるために必要なこと

資本主義の宿命というか、切磋琢磨して相手を超えていく。

これは良い側面もありますし、そうでなければ社会的な成長は望めないでしょう。

その点は理解出来ます。

しかしながら、その中の歪みを最近感じるのです。

仕事を”人”とつなげる

定時で仕事が終わると考えて、大体は8時間は仕事に時間を充てます。

6時間は最低寝るとして、24時間から引くと・・・10時間が残ります。

前後の通勤時間(往復)を2時間として、残りは8時間。

食事の時間を0.5時間と考えると1.5時間。これを引くと6.5時間。

まだすることはありますね。家事やら家族の時間とか・・・

あっという間に1日は過ぎていきます。

残業を考えれば、この6.5時間はさらにタイトなスケジュールになってきます。

睡眠時間を削ったり、家族との時間を削ったり。

何かを犠牲にすることになるでしょう。

仕事と人間的な価値

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さて、人間が一番活動的な時間に対して「仕事」の時間は設定されています。

その方が生産性が上がるからです。

単純に考えればそうなんだとは思います。

だから、自然と人の中心は「仕事」になっていくのでしょう。

心の中のウェイトも「仕事」が大きくなります。

すると、「仕事」が出来る、出来ないは、一番簡単な他人を評価する基準となるわけです。

これに照らし合わせると、私は仕事が出来ない人に分類されるでしょう。

産業医にも、「精神的な強さがなかったから、休職になったんだ。休職したら経歴に傷がつく。」とさえ言われました。

休職明けの私に対して、かなり痛烈なダメージを与えたのは想像がつくと思います。

今の私は、精一杯仕事はしていますが、定時で帰ったとしても疲れ切っています。

”仕事が出来ていた頃”に比べると、半分ぐらいの体力しかないような気もします。

早めに寝て、そして仕事に向かいます。

仕事はと言うと、かなりタイトなスケジュールの仕事を割り当てられ、一度も接したことのないシステムの突貫的な機能拡張のプログラムを書いています。

補助ツール的な扱いのものですから、そもそもが突貫で作られたものなんですけどね(笑)

だから、設計書もないし、あるのは入力データと出力結果だけ。

後は、どのような処理をしているのかの途中経過はソースプログラムから読み解くしかありません。

もちろん担当者は、どのような動きをしているのか説明してくれました。

その担当者は優しいので、なんとか自分の全力で仕事をやっているという感じです。

ただ、やはり勘は鈍っている感じはするし、機能拡張の要望書がだらだらと文章で書かれていると、それを読む気が全くしません。

理解しながら読まないといけないので、頭が疲れてくるのです。

まぁ・・・「仕事が出来ない人」になったんだなぁ・・・と思います。

ただし、これは仕事をそのまま人間的な価値に直結してしまった場合です。

最初に紹介した話もそう。産業医の話もそう。

仕事が出来ないことって悪いことなんでしょうかね?

本来の仕事の意味って何だろう

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産業医のことを少しフォローすると、彼は「仕事は、お金を家に持って帰る。それで十分なんや。それでいいんや。」と言っていました。

最近、私はそこにつきるような気がしてならないのです。

先ずは、仕事ってお金を家に持って帰る。これでいいんじゃないかな。

ただ、その仕事の対価が、自分の能力と他人の能力で比較した時に割に合わないと感じる。

だから、最初に紹介したような話になるのではないかなと。

そこは感情的には理解出来ます。

でもね。やっぱり間違っていると思うのです。

仕事が出来る人が、人間的に素晴らしい人という方程式は必ずしも成立しないのではないかと。

そもそも仕事が出来るって何なんでしょう。出来ると凄いことなんでしょうか?

最近、ここに疑問を持ち始めているし、私は人を責められないなぁと思うのです。

暇そうにしている人。何度言っても仕事を覚えない人。そもそもやる気がない人。

色んな人がいます。

それでいいんじゃないかな?

究極を言ってしまえば、それはその人の人生だし、価値観です。

何に対して怒っているかと言うと、自分の価値観と照らし合わせて、それに反するからです。

だから、怒りの要因と言うのは、実は自分の中で生み出しているものになります。

その人はそれでいいと思っているのだし、私の価値観と違っている。

単純に考えると、そういうことなんだと思うんです。

怒っちゃいけないとかそういうことじゃないんですよ。でも、やっぱり人はそれぞれ個性があって、得意とするものは違って、出来る範囲が異なります。

同じ階層の人ならば、「そういう人もいるんだ」という認識でいいと思うし、マネージメントの立場から考えると、あくまでも仕事効率の面での評価に徹するのが大事なのかなと思うのです。

人間的にどうだと言うのは、仕事の側面だけでは何も言えません。その人の一日の中のある一面を見ているだけですから。

言動で好き嫌いがあるのは当然だと思いますよ?

ただ、「仕事が出来る出来ない」の面にフォーカスして、そこで人間の価値を評価するのは違うように感じるのです。

本来、仕事とはお金を家に持ち帰ること。そして、余力があれば仕事を楽しむこと。これが仕事との上手い付き合い方だと思うのです。

みんな障害者なんじゃないかな?

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最初に紹介した内容は、かなり過激な発言です。

自分が「健常者」であるとし、また「障害者」は非生産的な人間なので、自分の視界からいなくなって欲しいという願望が出ています。

自分が「障害者」になる可能性を見落としているのです。

また、先程述べたように、人を仕事で判断すれば、そのような思考に陥るのは当然でしょう。

ですが、やはり人があって仕事がある。

そう。仕事が先ではないのです。人がいるから仕事があるのであって、仕事があるから人がいるのではないのです。

そして、私は「健常者」は存在しないと思っています。

人は何かしらの欠点を持っています。

自分は誰にでも愛されて、誰にでも優しく出来て、誰にでも尊敬されて・・・

そんな人間はいません。得意なこと。不得意なこと。それは人の特性なのです。

今、「障害者」と定義されている人々。彼らはそれが目に見える形で出てきている。
(言動を含む。)

それだけのこと。あなたの欠点を可視化できれば、きっとあなたも「障害者」の定義に入っちゃうんじゃないかな?

だから、そこに境界はないのだと最近思います。

みんな健常者だし、みんな障害者なんです。

私はそう思います。

自分の出来ること。それは「仕事」に固執する必要もないでしょう。

周りの人を笑顔にしたり、温かい気持ちにしたり。

他にも、苦しくても一生懸命に努力しているその姿で、周りが感動したり。

それが人のあり方なのではないかなと思います。

最後に

と、偉そうに色々書きましたが、やっぱり暇そうな人にはイライラしたり、自分に不都合なことが連続すると意気消沈したりします。

そういうのって、文章化することで気持ちがスッキリすることが出来ます。

私はブログがあるから色々助かってます。

冒頭で紹介したような、過激なことは言いませんし、思ったことはありません。

でも、日常でイライラしたり、怒ったり、凹んだり・・・

それもまた人間ですね。

そんなことは、面白い?文章にして昇華出来たらいいなぁと思っているのです。

なんだかそれが私の中でのストレス発散法。

なんか、中身と最後のまとめが矛盾しているような気もするけど・・・(笑)

まぁ、昔より何か考え方が変化したというお話でした。

今回はこの辺で。

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