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Milkのメモ帳

日々の思いつきを忘れないようにのメモ用です。

Milk's Memo Note

日々の思いつきを忘れないようにのメモ用です。

他人からみて丘でも、本人にとっては山である

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とある人と話をする機会があり、本人は本当に悩んでいた。

実のことを言うと、私の中では数種類の解決パターンは既に用意してあり、それを言うべきかどうか思案していた。

痛みを伴う方法か。

時間をかけてゆっくり溶かしていく方法か。

或いは、全てを放棄するか。

他にもルートは幾つかあった。

しかし、決定はその本人の権利だ。私がどうこう言う問題でもない。

相談相手となる上での鉄則

私は、そういう人なのか分からないのだが、相談相手に選ばれることが多い。

それは、男女問わずだ。

女性からしたら、私は「恋愛対象」ではないのだろう。

それはそれで、男として自尊心を傷つけられるが(笑)

まぁ・・・そういう冗談は置いといて、本人が悩んでいるのは事実。

こういう時は基本的なルールが幾つかある。

否定しない

大事なのは、先ずは否定しないことだ。

相手が何を言ったとしても、言い終わるまでは否定しない。

それにどれだけの誤りが含まれていたとしてもだ。

相談される側としては、正確な情報を取得したい。

しかしながら、取得できる最初の唯一の情報源は、相談して来てくれたその本人からのみだ。

そこには、その人の感情が含まれており、決して正確な情報とは言えない。

恐らくは、データ誤りが存分に含まれる。

だが、それはその本人の悲鳴でもある。

先ずは、データ収集は一旦止めておき、その本人の感情を最優先させる。

時間はあるのだから。

落ち着いた後に、本人から状況を冷静に聞いたら良い。

共感する

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上の話に共通することではあるが、まず相談して来た相手は気持ちが高ぶった状態だ。

興奮している。冷静ではない。

気持ちとしては上下しており、その感情を自分で制御が出来ないのだ。

その自分で抱えきれない気持ちを、誰かに共有して欲しいと思っている。

だから、「否定しない」と同時に行うのは、「感情移入」することだ。

共感すると言い変えたほうが良いかも知れない。高ぶった感情を少しずつ少しずつ汲み上げて、外に出してあげる。

その内容に同意は出来なくとも、「うん」や「そうか」という相槌ぐらいは打てる。

本人の中の感情を吐き出してもらう。

私に出来ることは、気持ちを同化させ、何となくこういう感情なのだろうという気持ちを自分の中に作ることだ。

仮想的な感情を自分の中に作る。聞こえは良いが、時々自分の感情に絡んできて、自分が苦しむ事がある。

私の欠点だが、感受性が強いのだ。一緒に悲しくなったり、楽しくなったり、喜怒哀楽が自分の感情に流れ込んでくる。

きっと相談する相手はそれが嬉しいのだろう。ただし、これがたまに自分を苦しめることがある。

本当は、先ほど述べたように、仮想的な感情を作り、自分の感情と切り離して分析することだ。これが出来れば完璧である。

正確な状況の把握に務める

相手が落ち着き始めてから、始めることとしては、状況の正確な把握だ。

これは、本当であれば問題となっている両人からの情報取得が望ましい。

出来るのであれば、私はこの方法をとることにしている。各々の言い分があり、何かの認識齟齬があるからだ。

負担は2倍になるが、仕方がない。

そうでなければ、平等に正確に「生きた情報」は得られないからだ。

ただし、一方からしか情報を得られない場合も存在する。

その場合は、出来るだけ冷静に、感情が介入しないように「状況」を押さえる形での質疑応答に移る。

どう思ったかについては排除する。この作業の時の感情はノイズになる。当然ながら、私自身の中での同情と言う個人的な感情に干渉してまえば、ノイズは増幅される。この時は、感情を殺す必要がある。

物事の発生順序。登場人物。各々の行動(主張は一旦除く)

その状況がリアルに想像出来るまで、「事実」を引き出す。

ただし、相手が疲れない程度にだ。

状況を軽んじない

一番にしてはいけないこと。

それは、「そんなの軽いよ。大丈夫。どうにでもなるよ!」という態度を示すことだ。

人の状況は様々だ。

そしてバックボーンも異なる。

本人から得た情報の中には、誤りもあるし、データ欠損もある。正確に状況が把握できている確証はない。

そして、やりがちなのは「自分の過去の経験に投影すること」だ。

正確に言うと、自分の中で分析する分には行っても良い。

ただし、問題になるのは相手に助言を行う際に、「自分の経験上そんなのは大した問題ではない。」というスタンスをとってしまうことだ。

こうなれば、相手は自分の感情を受け入れてくれないと判断し、その後は閉じこもってしまう。

本人は苦しんでいるのに、何も手を差し伸べられなくなるのだ。

せっかく、苦しくて自分に感情を打ち明けてくれたのに、それを無駄にしてしまう。

可哀想なことをしてしまう。

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周りから見て丘であっても、当人にとっては山なのだ。

本人には、初めての登山なのだ。

それがどれくらいの規模なのか想像出来ていない。だから怖いのだ。

一緒に登ろうねと言ってあげる。

それが本当の優しさだろう。

「これぐらい大したことない。行って来い!ビビるんじゃねぇ」って突き放すのは、少し違う。

もし出来るなら、既にそうしてる。相談するということは、一緒に登ってくれる人を探しているのだ。

最後の決定権は相手に委ねる

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この時点で、「私ならこうする」という意見は出来上がっているかも知れない。

しかし、行動するのは本人だ。

どういう登山ルートをとるかについては、本人が決める必要がある。

私に出来ることは、その登山ルートで滑落したり、怪我をしないようにサポートすることぐらいだ。

確かに、登山ルートの優劣はある。

相手は、自分に相談している中で、登山ルートを決め始めているかも知れない。

それが「本当に危険な道」でなければ尊重することにしている。本人はもっと多くの情報を持っている可能性があるし、何しろそれをやり遂げたいという気持ちになれたのだから。

私は応援するだけだ。それが相談を受ける側の責務である。

では、当人が登山ルートが見当つかなったり、意見を求めてきたらどうだろう。

その場合は、複数の登山ルートを提示する。そして、それぞれにどのようなメリットとデメリットがあるかを伝える。

ただし、大事なのは、「本人が決める」ことだ。

ここで押し付けがましく、「これがベストだ!これを絶対にしたほうが良い!」って押し切ったら、本人の感情は無視される。

本人が悩んで時間がかかったとしても、イラついてはいけない。急かしてはいけない。

少し残酷だが、この時は「俺の問題ではない」と切り離すと気持ちが楽になる。

私はせっかちなので、そういう風に切り離さないと、待ってられないのだ(笑)

私の大きな欠点だ。

最後に

ついつい私は、人が悩んでいると声をかけてしまう。

あまり良いことではない。

全ての人を救えるわけではない。

なのにそうしてしまう。

我ながらいつも「バカだな。いつまでこんなの続けるんだよ。」って思うことがある。

でも、悩んでいる人、苦しんでいる人がいたら、手を差し伸べずに目を逸らすことが出来ないのだ。

関われば、自分に感情が逆流してきて、私自信が傷つくというのに。

私は何をしているんだろう。

いつまでも、私は人に求められたいという欲求で飢えているのかも知れない。

もし、相談に乗る側になった場合は参考にして欲しい。

大事なのは、悩んでいる人にとって「他人からみて丘でも、本人にとっては山である。」ということだ。



今日は、これ聞きながら書きました(笑)