Milkのメモ帳

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【更年期障害】上手くコミュニケーションがとれないのは病気のせいかも知れない


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とある記事を読んで、少し思うことがあったので書いてみます。

私が病気になる前に、仕事やプライベートで様々なことがありました。

それが幾重にも重なり、私自身の精神が限界に来ていたのでしょう。

私は突然倒れました。

弱り切った状態の中で、私は初めて母の気持ちが分かったのです。

母との軋轢

私は、ちょっと複雑な家庭環境で育ちました。

それは家が裕福でないということだけでなく、別のことでも問題があったのです。

敢えてそのことには触れませんが、私は大学生の頃に母と意見の相違があり、かなり関係が悪くなっていました。

そして、就職先も東京と決まり、半分喧嘩別れの状態で上京することになったのです。

今でも記憶にあるのは、母が「あなたは私を恨んでいるのでしょう?」と聞いて来たことです。

私は、「そうだね。そうかもしれないね。」と答えました。


その時はせいせいしていました。

一刻も早く、私は実家を離れて独りで生きていきたいと、その時は思っていたからです。

私の方から実家に連絡することはありませんでした。

時々、母から電話がありましたが、半分イライラしながら話を聞いていました。

私は何も話すことはないと思っていましたし、母も専業主婦なので話すネタが多いわけではありません。

気まずい雰囲気が流れます。

そんな時間が嫌でたまりませんでした。

彼女を紹介したいが拒否される

私は、大学生の頃から実は遠距離恋愛をしていました。

本格的に会うようになったのは、上京してからです。

そして、彼女を家族に紹介したいと思っていました。

働き始めて2年くらいでしょうか。結婚について徐々に話を進めようと思ったのです。

私の伝え方が悪かったのでしょう。

盆に帰省していて、東京への帰り際に、「今度、彼女を連れてくるから。」と軽く言ってしまったのです。

母は、「なんで?嫌だ。」と直球で返してきました。

羽田に着いて、1時間以上も羽田と実家で電話で喧嘩したことを今でも覚えています。

妹にも怒られました。

痛烈でした。メールで「卑怯者」と書かれた時は・・・

私も頭に血が昇って、「お前に俺の苦労の何が分かる!」と返信しました。

なぜ拒否していたか

なぜ拒否をしていたのか・・・

それが分かりませんでした。

てっきり、私と母との間での軋轢が問題なんだと思っていたのです。

だから、私が何とか母との関係を改善すれば、結婚への話は進展すると思っていました。

彼女に会ってもいないのだから、彼女に対しての不満を持つことはありえないからです。

しかし、彼女を紹介したいと話を持ちかけると、母は不機嫌になったり、対話を拒否しました。

年に帰省できる機会は限られています。

多くても、正月、ゴールデンウィーク、盆ぐらいなもんです。

そのたびにトライをするのですが、私との関係が改善できていないのに、結婚もなにもあるか!と怒るのです。

最終的には、父にも介入してもらいなんとか話をつけ、私は母に頭を下げて「どうにか彼女と会ってもらえないだろうか。」とお願いをしたのです。

母は感情をコントロール出来なくなっていました。

急に怒り出し、そして泣き出すのです。

父と私が説得しようとしても、「二人で一方的に私をいじめる」と言い、卑怯だと言って泣き出してしまうのです。

ここ数年は、これを繰り返しており、私は仕事面でも精神的に限界を感じていましたし、実家に帰るプライベートの面でも疲れきっていました。

何しろ会話が成立しないからです。

母の言っていることが支離滅裂になったり、母の理解力が異常に低くなったりして、話が先に進みませんでした。

母は病気だった

母は結局のところ、更年期障害でした。

更年期障害とは、身体のホルモンバランスが崩れ、身体の不調として症状が出てきたり、精神的に不安定になる病気のことです。

男性にも起こりうる病気なのですが、特に女性は必ずと言っても良いほど通過しなければならない病気らしいのです。

これは、卵巣の機能が低下し始めることが一つの要因のようです。

そのため女性ホルモンの分泌量が低下します。

すると今までの状態から、急激に身体のホルモンのバランスが変化するため、身体に異常な状態として症状が表れるということです。

まぁ・・・これはかなりざっくりと言っていますから、本当に更年期障害で苦しんでいる方は、一度病院での検査をお勧めします。

母は急に暑いと言いだしたり、寒くて凍えると言いだしたりと大変でした。

そして、不安感に襲われて、何にも興味が失くなったりしたのだと言います。

私が、彼女と会ってくれと頼んだとき、母はベッドに横になっていたのですが、環境が次々に変化していくことに自分が順応出来ない・・・そして怖いのだと涙を流しながら私に話してくれました。

その時は、頭では分かっていました。

更年期障害は大変なんだなと。

頭ではね・・・

やっと本当の意味が分かる

私は、そうこうあってかなり神経が摩耗していたんだと思います。

自分では大丈夫だと思っていたのですが、ある日突然に電池が切れました。

何かがブツッと切れた感じでした。

すると、感情が止まらなくなったのです。

それは、恐怖でした。

言葉では表現が難しいのですが、全てが怖いのです。

食べて吐いたらどうしよう。

ここで倒れて動けなくなったらどうしよう。

仕事が出来なくなったらどうしよう。

家で倒れて何も出来なくなったらどうしよう。

どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう・・・・

怖い・・・怖い・・・怖い!!

恐怖が恐怖を更に呼んで、吐き気で何も考えられなくなりました。

どうしよう仕事が終わらない。

どうしようこのままの体調じゃ仕事が出来ない。

どうしようこのまま体が治らなかったら。


私は、自宅で過呼吸を起こしていました。

そして、怖くて泣き出してしまったのです。

独り布団の中で泣き、なにとも分からぬ恐怖に襲われ、怖くてたまりませんでした。

そして、やっと意味が分かったのです。

母親が、怖くてたまらないと言っていた本当の意味が。


自分は、母親に対しかなり冷たい態度をとっていました。

何度言っても理解してもらえない。

どうして譲歩するのは自分ばかりなのか。

ここまで気を使っているのになんで分からないんだ!

でも、違いました。

母は自分自身の恐怖に打ち勝つのに必死だったのです。

それ以外は考えられない状態でした。


母はこの恐怖に耐えながら生きていたのか・・・

そう考えると、私は恐怖に怯えながらも、半分の頭で母に悪いことをしたと反省していました。

様子がおかしかったら一度病院に行ってみよう

その後、母はあちこちの病院へあたってみたらしく、やっと自分の更年期障害に対して合う漢方が見つかったようです。

今でもまだ少々不安定なときはありますが、酷い時に比べれば大分良くなりました。

感情的な部分は大分漢方のおかげで改善されたようで、以前の落ち着いた母でいるように思います。

ただ、やはり暑さや汗を多くかくなどの症状は出るそうです。

この更年期障害は、ホルモンバランスが落ち着いてくると改善されるそうです。

しかし、これには年単位での時間が必要です。

母は、「歳をとったということよ。」と笑って話しています。


今は、私は考えを改めることにしました。

母は以前の母ではない。もう歳をとったのだと。

だから、自分が幼い時に見ていた”強い母”はもういない、という事実に向き合わなければならないのだと思うようになったのです。

今回の病気は、そのことを私に教えてくれました。


そしてもうひとつ。

もし、家族でコミュニケーションが上手くとれない、以前と様子がおかしいとか、何か違うと感じた場合は、何か病気があるのかもしれません。

単純に性格が変わったということで済ませるのではなく、専門のお医者様に見て頂くことも視野に入れてみてはいかがでしょう。

もしかすると本人自身が一番戸惑っているかもしれません。

母も言っていました。

以前出来ていたことが出来なくなったこと。

それが一番辛かったと。

今では、自分が”老いた”ということを少しずつ受け入れ始めているようですが・・・


少しだけ本人と一緒に考えてみませんか?