夜中に目が覚めてしまいました。こんばんは、Milkです。
met4lic-akekure.hatenablog.com
とある記事に触発されて、自分の仕事に対するスタンス(特にマネージメント)について、ちょっと書いてみることにしました。
たぶん、あまり参考にはならないと思います(笑)
現にこうして病気になってしまっていますから・・・
褒められたかった
たぶん、この欲求は非常に強かったと思います。褒められたかったというか、認められたかった。自分の存在意義を認めて欲しかった。
それが、根本的な欲求だったのだと思います。
仕事を始めて(今もですけど)、あまりに褒めてもらえる機会がなくて、毎日がっかりしていた記憶があります。
なんというか、感謝の言葉もなかったり、他人への気遣いもなかったり・・・
毎日、ただただモノのように扱われることに不満があったのは確かです。
連鎖を断ち切りたいと思った
私は昔から日本人的な考え方が大嫌いでした。
「自分が耐え忍んだことは、当然下も耐え忍ぶべきだ」という考え方が特に嫌いでした。
何故、自分が嫌だったことは、下の子達が経験しないであげられるよう改善しないのでしょうか。
何故、自分が嫌だったのに、他人にはその嫌だったことを強要するのでしょうか。
その意味がまったく分かりませんでした。
私は、入社当初、毎日のように怒られました。でも、全部が全部仕事が出来なかった訳ではなかったんですよ?
確かに最初の頃は未熟でしたし、今考えると馬鹿みたいな行動をとっていたこともあります。
でも、出来たこともあるのです。
欠点を上げていったらきりがありません。きっと未来永劫褒められることはないでしょう。
私はある時から、そう確信しました。
何が出来ない、何がおかしい、何をもっと良くしろ。そんな毎日が嫌でたまりませんでした。
欠点を並べられても、人は完璧でないのだから、いつまでも責め続けられる。
自分はそうやって育ったんだと言われましたけど、「だからなんなんだよ。そんなの言い訳と八つ当たりじゃないか。」と思いましたね。
ですから、私は下の子達には極力怒らないと考えていましたし、パートナー会社のメンバに対しても出来るだけ感謝と励ましを言葉で表すようにしました。もちろん目上の方には、敬意を払うことは当然です。
人の気持ちを聞いてあげる
特段コーディング能力が高いわけでもなく、技術的に秀でている訳でもない私。
出来ることは、人のケアをしてあげることだけでした。
特に、どういう訳か大炎上しているプロジェクトに緊急参戦することが多かったですね。上の人達がどういう意図で私を起用して、プロジェクトに突っ込んでいたのかは分からないですけどね。
でも、大概は人間関係が破綻していました。
炎上しているプロジェクトには共通する、独特の臭いがあります。
- ある特定の人に仕事が集中する
- その人物を補佐する人間が存在しない
- 不満や不安がチームの上層部に伝えられない雰囲気になっている
- 自分の守備範囲を意図的に決め変えようとしない
などなど
これは決まって言えることは、互いに疑心暗鬼が始まり、アイツのせいだ、コイツのせいだという状態が始まるのです。
解決するのは簡単です。
「ありがとう。」
この一言だけです。私はそう信じています。
「なになにの仕事をしてくれてありがとう。でも、少しここを直して欲しいんだ。お願いできるかな。」
「元気にしてる?そっか、そういう大変さがあるんだね。でも、◯◯君がこういうことしてくれるから助かっているよ。」
「おお!それはいい案だね。皆でそれを試してみようか。」
常にポジティブな言葉で相手に返してあげる。そうすると、何となくチームの歯車が噛み合い始めるのです。
自分の仕事はここまでだけど、ちょっと他人の仕事も手伝ってあげようかな。
何だかこの人は話を聞いてくれるから、ちょっと仕事で悩んでいることを相談してみようかな。
小さなことですが、大炎上しているプロジェクトの一つの鎮火方法は、プロジェクトメンバの精神的な安定を図ることです。
心を分け与えることには効果がある
この心がけは、確かに効果があります。私もそれには自信がありました。
ある日、上司から言われたことがあります。
「Milkのことを悪く言う奴は誰もいない。皆、お前のことを好きだと思うよ。」
その時は嬉しかったですね。
それに、大炎上しているプロジェクトの中にいる時に、
「Milkさん。ちょっと聞いてくださいよ。」とか、「Milkさん。一緒に飲みに行きましょうよ!!」と言ってくれるようになりました。
時には、パートナー会社(下請け会社)だけの忘年会に呼ばれることも。
「え?私がいていいんですか?」
「いいんですよ!Milkさんだからいいんですって。」
ある日、パートナー会社の若い子に言われました。
「この仕事(大炎上プロジェクト)は最悪ですけど、Milkさんに出会えただけでも意味がある仕事だったと思ってるんですよ?」
この言葉は、心に来るものがありました。
分け与えるだけでは自分が苦しくなる
ですが、心を分け与えることはあっても、誰かが私に分け与えてくれることはありませんでした。
正確に言うと、同じ会社の同僚が、私に対し同じように気遣いを示してくれることは少なかったという方が正しいと思います。
それはなんとも言えない気持ちになりました。
今はそれだけしか言えません。
というより、自分を守るためにどうすべきだったのかが分かりませんでした。
私はいったいどうすればよかったんでしょうね?
病気になった今、それを自分に問い続けています。