記事を要約すると、過去の犯罪歴をGoogleの検索対象から外せるかという裁判だった。
地裁では、削除すべきとの判断だったが、高裁でそれがひっくり返された。
忘れられる権利
この「忘れられる権利」という考え方が出てきたのは、比較的新しい。
特に、インターネットが発展し、情報に誰もがアクセス可能になったことが大きい。
それに、個人情報保護の法律が嚴しくなったのも、ある意味これが関係している。
インターネット以前の情報伝達
インターネットが登場するまでは、広く情報を伝達するためには紙に印刷し、それを配布する必要があった。
しかし、紙の耐久度はたかが知れている。また、個人でそれを丁寧に何年も管理する人なんて多くはないだろう。
一度読んだら、その人の記憶にあるかどうかだけだ。
また、人を介して情報が伝搬するにもその限度というものがあったのだ。
せいぜいその地域だけであって、そこから移動すればその情報を知らない人たちに出会えた。
つまりは、もう一度人間関係を構築し直すことが可能だった。
テレビはどうだろう。
テレビをいちいち全て録画している人間はいないし、テレビ局の記憶媒体にアクアス出来る人間なんて一般人はない。
そういう意味で、ある程度時間が立てば風化する状態であったため、わざわざ「忘れられる権利」なんて主張しなくてもよかったのだ。
インターネット以降の情報伝達
しかし、インターネット以降は全てのコンピュータがネットワークを介してつながった状態になった。
P2Pという技術なんてその最たるものだ。
P2P(ピア・ツー・ピア)という技術は、各コンピュータが一つのサーバに繋がるという形ではなく、網目状に各々のコンピュータ同士が繋がってネットワークを構築し、作業を行う技術だ。
(参考画像:What is Peer-to-Peer ( P2P ) ? | The Connectivist)
普通は、ネットワークはあるサーバ(メインコンピュータだと思ってくれれば良い)を中心にして接続されている。
しかし、P2Pはそれと違い、個々でコンピュータが接続しあう関係になる。
一時期、医学的な研究のためにPCの余っている部分(CPUやメモリ)を皆で貸し合い、分散して演算処理を行うということが流行った。
あるソフトを入れて、ネットワークの接続メンバになる。そしてガンなどの先端医療開発に必要な計算を、そのメンバのコンピュータに分担して計算させる。これによって、世界中のコンピュータをつなげて余力がある資源を間借りすることで、スパコン(スーパーコンピュータ)並の計算速度を得ようという考えだ。貴方の余っている資源を有効活用しようといったキャッチフレーズだったように思う。
また、Winnyというファイル共有ソフトも、このP2Pの技術を利用している。
最近の若い子達は知らないかも知れないが、このWinnyというファイル共有ソフトは社会現象にまでなった。
このWinnyはP2Pの技術を利用することで、各々のコンピュータ同士が網目状につながることになる。すると、データファイルなどが個々のコンピュータ同士を渡って移動していく。そこが問題だった。
このWinnyを介して、コンピュータウイルスが蔓延したのである。普通はネットワークの中枢になるサーバがあるため、そこを落とせば(ネットワークから切り離せば)Winnyの機能は停止するはずである。しかし、P2Pは個々で繋がるネットワークを構築しているため、どれがメインサーバという明確なものがない。つまり、どのコンピュータもサーバであり、互いにファイルを転送しあうことが可能になっている状態で、誰にもそのネットワークを完全に排除が出来ないことになったのだ。
結果的に、感染したコンピュータがWinnyを介して、あらゆるコンピュータを渡り歩いてパンデミックを起こすという事態が発生した。
そんな経緯もあって、大学研究機関や企業ではWinny等のファイル共有ソフトを使用することは禁止となった。
ただ、この技術には利点も多くある。非力なコンピュータであっても、ネットワーク上にスペックが高いコンピュータがあれば、それに計算を多めに負担してもらうことで、効率よく作業が行えるということだ。
「P2P = 悪」 の様なイメージが勝手に定着してしまったが、このP2P技術は今でも十分に利用されていてSkypeはこの代表的なソフトだ。
適切に利用できれば問題ない。
かなり脱線してしまった。
しかし言いたかったことは、一度データがインターネット上に流出すると、それを完全に回収することは不可能に近いということだ。
P2Pという技術を使っていなくても、今のコンピュータはサーバを介しながらも全てのコンピュータがつながった状態にある。
ということは、写真や個人情報がそこに置かれると、知らず知らずのうちにDLされたりして、個々のコンピュータの中に吸収されてしまう。
そして、それをまたインターネットに流すと、誰かが吸収し続けるという無限ループに入るのだ。
残念ながら、データの風化はありえない。
誰かしらのコンピュータの中に存在し続ける。
それがインターネット時代の怖い所だ。
インターネットにさまよい続ける亡霊
インターネットは、誰でも平等に情報にアクセス可能な世界を作った。
それと同時に、そのインターネットの世界で意図せずに”さまよい続ける亡霊”を生み出す結果となった。
本人にとっては、無くしたい過去や風化して欲しい事が、悪意のある誰かによって幾度も亡霊として湧いてくる。
亡霊と闘い続けた
何故、これに敏感になっているかというと、私は以前に某掲示板に名前を書き込まれたことがあったのだ。
それは、自分の家で友人たちと飲んで少し騒ぎ過ぎたことが原因だった。
すると誰かが某掲示板に実名で名前を書き込んだり、根も葉もないことが書き込まれたり、住所が分かるような状態の書き込みをしたりなど嫌がらせをされたのだ。
挙句には、それを印刷してポストに入れられたりもした。
極めつけは、あるサイトに登録していた顔写真までリンクを貼られた。
後で管理人さんに聞いたが、騒ぎ声でうるさいとは感じなかったけど?と言われた。
完全に逆恨みだ。
一瞬、ヒヤッとしたのは部署の上層部の方々もこの書き込みを知っていたことだ。
数年たってから「実はお前の名前が書かれているの知ってたよ」と言われたのだが、それが私の評価に何か関係があったわけでは無かった。
そういう色眼鏡を通してではなく、自分のことをちゃんと見て判断してくれた上司の方々には感謝している。
その一件は、あれこれと人事などの部署を巻き込みながらも一応は収束した。
今でも嫌な思い出だ。
直接に文句を言ってくるならまだしも、そういった陰湿な嫌がらせを行う人もいて、私は誰とも分からぬ”亡霊”と闘い続けるはめになった。
インターネットの怖さを認識して欲しい
今回冒頭で取り上げた記事は、過去の犯罪歴が検索できないようにとのことだったが、これは複雑な問題だ。
なんとも”これが正しい!”とは言い難い。
本当に反省していて更生しようと思っている人間からすれば、そのような色眼鏡で見られていつまでも自分は再スタートを行えないと悩むだろうし、過去の情報(事実)に自由にアクセスできることこそが知る権利なのだという主張も分からなくもない。
ただ言えるのは、今の時代は犯罪を犯すとインターネットに、その亡霊はいつまでも存在し続けることにはなるということだ。
そして、付け加えて言いたいのは、特に若い子たちには自分の情報の開示に慎重になって欲しいということだ。
周りの人間は全てが善意を持った人間ではない。
今は、風景からでさえも何処で写真をとったのかを特定したり、その人間が移動した軌跡をトラッキングしたりという暇な人間がいる。
その執念は異常だ。
全然見知らぬ人間でも、気に入った人間がいればそれを実行する。
その本人には知らない場所で密かに行われているのだ。
だから、メールやSNSに公開した情報は、全ての人間に見られているという自覚を持ったほうが良い。
メールは覗かれないだろうって? 一応はそういうことになっている。一応はね。
でも、Googleといった会社が、データの資源となっているメールサーバ(Gmail等はメールサーバの設定が、IMAPがデフォルトである。これは、メールサーバに保存しているメールをコピーして、受信者に渡す方法である。)を利用しないわけがない。
直接覗くことはしていないかも知れない。けれども、実際の話、メールの内容をプログラムで検索させ、その内容にマッチする広告を自動的に表示する機能をつくったりしている。言い分としては、「あくまで個人を特定できるような情報利用はしていない」だ。
つまりは、情報はネットワークに流れた時点で、誰かが握っている。それは、意図しない人間もだ。
そう肝に命じていて欲しい。
あと、スマホやカメラのGPS機能は一度チェックしたほうが良い。
今時のカメラはGPSの位置情報を写真データに埋め込むことがデフォルトになっている。
それを投稿すると、誰かがDLしてそのデータのプロパティを開くとGPS情報を取得でき、場所が特定できる。
その機能がONの状態で自分の家の写真を投稿した時には、家の場所を世界中にばらまいているのと同じだ。
注意して欲しい。
あまりまとまりがない文章ですけど。
今回はこんなところで。
では、adios!!