こんにちは。Milkです。
今日は、あまり楽しいお話ではありません。でも、ふと最近のやりとりで思うことがあったので、形にしたいと思います。
とあるブロガーさんと、twitterでやりとりをしていました。
私は最近、外食をすることが多いのですが、ある意味では意図的にこれを行っています。
美味しそうです!いただきます! pic.twitter.com/5GO00qkGTd
— Milk@はてなブログ (@milk19873) 2017年1月27日
女子力高い系。どんな味なんだ?!そして、ラジオ編集がんばりもふ!!
— Milk@はてなブログ (@milk19873) 2017年1月27日
応募はいつでも、待ってるよ!気軽に参加してね。 #Milkラジオ pic.twitter.com/RVt5ZPZiPK
私は、病気をして今、休職中の身です。実は食事をとることに恐怖を覚えるようになったのです。
外食なんてもってのほか! しかし、復職するにはそんなこと言ってられません。
時々、不安や吐き気が出ますが、なんとか克服中なのです。
食事がとれなくなった
今でははっきり分かっていることですが、とあるプロジェクトに参画してから、身体が明らかに限界点を超えました。
ある日を境に、食事を体が受け付けなくなったのです。
最初は、食べると吐き気が出ました。
次の段階に入ると、予期不安というものが出てきて・・・
(食べて吐き気が出たらどうしよう・・・)
と考えるようになってきたのです。
そうすると負のループです。口に含んだだけで、吐き気をもよおすようになり、蕎麦を少し口に含んではトイレにダッシュという毎日を繰り返していました。
もう体が吸収してくれるのは、ウィダーインゼリーのみ。
カロリーメイトぐらいは、口の中で粉砕して強引に飲み物でペースト状にして飲み干しました。
そして、終電近くまで身を粉にして働くのです。
そんな状態で身体が維持できるわけがありません。
吐き気。めまい。突然に襲う緊張と恐怖感。
次のプロジェクトの終盤で、私は遂に電池が切れたようにして一切身動きが取れなくなったのです。
そして、今に至ります。
実家に這いつくばって戻ったはいいものの、何も食べられません。
布団に仰向けに寝て、天井を見ながら「俺は役立たずだ・・・」と思い、耐え切れなくなるとガバッと布団を頭から被って泣いてました。
その状態は約1年前のことです。
今では、日中に出歩くことが出来ますし、公共機関に乗って移動したり、食事も緊張しながらですが取ることが出来るようになってきました。
大進歩です!!
そして、復職の目処もなんとか立ってきたのです。
誰かを恨むか?
恨みたい相手は沢山います。
叩きのめしたい相手も沢山います。
過去、多くのことを経験してきました。普通の子供はあまり経験しないことです。
ですから私の人生観は、どうやら一般の人からズレているようなのです。
自分に力があったならば
ここからは、少し中二病的な話になってしまいます(笑)
皆さんは、ARMSという漫画をご存知でしょうか?
体の中にナノマシンを埋め込まれた少年少女たち。
彼らは、その「コア」の力に目覚めた時、強大な力を発揮することが出来るようになるのです。
その「コア」にはオリジナルが存在し、少年少女たちにはオリジナルが埋め込まれていました。
突如彼らは、それを回収したいと考えている組織から襲撃されることになります。
なぜ、オリジナルが彼らに埋め込まれているのか。そして、その組織はなぜオリジナルを欲しているのか・・・
それは、「ARMS」で読んでもらうとして(笑)
私が、中学生や高校生の頃、本当に色々なことが起きました。特に中学生の頃です。
確かに多感な時期とも言えますが、それにしても悲惨な状況でした。
人がいかに冷たく、他人を食い生きているか。それを見せつけられ絶望しました。
だからこそ、私は主人公の「ジャバウォック」の力が欲しかった。
もし、力が授けられたなら、この地球上の全ての人類を抹殺してしまおうと思うぐらいに憎かった。
憎悪していました。ひたすらに人間が嫌いだったのです。
人が人を食らう姿。そして、誰もそれを助けようとせず、見放す冷酷さ。
これほどまでに、人は醜いものかと感じ、理解し、私はそれ以来、人を信じなくなりました。
この怒りはどうするべきなのか
冒頭で話したブロガーさんからは、「復讐したいとか、この苦しみを味あわせたいと思わないの?」と質問されました。
それは、今の病気を含めての話です。
正直に言いましょう。
この苦しみを味あわせたい。
そして、言ってやりたい。
お前に俺の何が分かる? 俺の人生を耐えられるなら代わってみろ。それから俺に何か言え。その勇気はあるのかい?
でもね。その気持ちで心が支配されるのは、高校生の頃に終わりました。
大学に入り、考えに考え、いろんな決定を下してきました。
一時的に親とも疎遠になりました。
でも、間違っていたとは思っていません。いつしか、人は何かしら重要な決定を自分自身で行う必要があるからです。
さて、考える中で、人嫌いでありながらも、人を救いたいと思うようになりました。
不思議でしょう?(笑)
でも、答えは単純です。
「自分が寂しかったから。だから、同じ寂しい思いは他の人に感じて欲しくない。」
結局は、自己満足的な考えです。
経験を活かせるか
ですから、復讐したり、苦しみを与えたりすること。これに力を割くことは止めにしました。
なぜなら、それに執着する自分が醜かったからです。
結局は、嫌っている、憎悪している人間と同じ思考回路を持ち、そして同じ行動をとっている。
それが許せなかった。
私は、一般の人より悲しみや苦しみを、ほんのちょっぴり多く経験したかもしれない。
だからこそ、周りの人の気持ちを、少しだけ強く感じることが出来る。
悲しいこと。苦しいこと。泣きたいこと。寂しいこと。
負の感情には、特に強く敏感に反応しやすくなりました。
地球の全ての人を救えるわけではない。私が何かをして、明日から紛争が終わることが無いように。
では、自分が出来ることはなんだろう。
それは、頼ってきた人の為に親身になってあげること。
少なくとも私の友人や、関係する人が、悲しみの連鎖を断ち切ることが出来るようにしてあげること。
また、これからの後輩たちが、色々な悪習から開放されるように環境を整えること。
それが私の目標であり、理念です。
最後に
憎しみの感情が生まれなくなったとは言いません。
今でも、恨み、憎み、その感情は私を駆け巡ります。
でもそれと同時に、理不尽なことで悲しんでいる、または弱っている人を見た時、義憤に駆られるのです。
なんのメリットがあるのでしょう?
ないでしょうね。
でも、これは私の性です。きっと変えられないのです。
そして、最近よく感じる言葉があります。
西尾維新の「化物語」という小説に出てくる、忍野メメの言葉です。
「助けないよ。力を貸すだけ。君が勝手に一人で助かるだけだよ、お嬢ちゃん」
私は、人を助けられるとは思っていません。
あくまでサポートするだけ。
その人がどのような道を選ぶかは、その人自身が決めることです。
だから、上手く行って感謝されたとしても「君が頑張ったからだよ。」と答えます。
私は何もしていない。
努力したのは君だから。
さて、人を恨むのはもう疲れました。
出来るなら、人を元気にしてあげたい。
もしかすると、それで私は嫌われるかもしれない。だって、それは辛い決定が正しい道だったりするから。
でも良いのです。誰にでも「良い人」にはなれない。
私は、「正しい人」でありたいから。
では、正しいとはなんだろう? それはまたの機会に。