こんにちは。Milkです。
最近、いじめの話ってよく聞きますよね。
今は、スマホが隅々にまで行き渡って、小学生でも持っている時代。
情報過多の時代に入っているな・・・って個人的には思っています。
そして、そこに少なくとも関係があるのは、LINEなどのグループによる関係性。
今の子たちは、それに振り回されていたりしないかな?と少し心配になったりします。
私と携帯電話
携帯電話が一般に普及し始めたのは、私が中学生の頃でしょうか。
メールの機能が付いていましたから、今で言うLINEに近い状況は既に出来上がっていました。
ToやCCにアドレスを入れて、ずっと話を続ければ良いわけですからね。
私はと言うと、貧乏なので持ってなかった\(^o^)/
じゃぁ、それで寂しかったか?と言うと、実はそうでもなかったのです。
本当の友人を取捨選択出来た
毎日、学校に行ったら話の内容がジャンプしていました。
異空間と言ってもいいかな?(笑)
昨日話していたことが、夜の間にメールで飛び交って進んでいるので、私はまったくついていけませんでした。
一体何を話してるんだろう?
そんなこともたびたび。
知り合いになるときには、初めに、
僕は携帯電話を持ってないからね。
と話していましたから、連絡先交換なんてしたことはありませんでしたね。
皆はしていたけど。
(実のことを言うと、校内に持ち込みも禁止でした。そういう時代だったんですよ。)
でもね。あまり行儀は良くないけど、聞き耳を立ててみると「誰がどうの。」とか「誰のやったことが気に食わない。」とか、「誰と誰が付き合ってる。」とか、そんな話ばかり。
結局、内容は薄いもので、その情報がないと死んでしまうか?と言うと、そうでもなかったのです。
だから、Milkは携帯持ってないんだよねってのは皆が知っていたことだし、仮に私のことの悪口を言っていたとしても、あまり気にしなかったというか、
文句があるなら直接言いなよ。コソコソしやがって!
って思ってました。
(実際に悪口を言われてたかどうかは知りません。)
なので、意外なことに「本当の友人」が出来たのは、携帯がなかったからだったと思っています。
無駄な情報や欠損したデータに振り回されて、心を無理に合わせない。
また、相手もしっかりと自分の思っていることを「口に出して」言ってくれる。
だからこそ、私には少なかったけれど、しっかりと「彼らが自分の大切な友達。」と胸を張って言えました。
SNSでハブられたっていいじゃない

実害を被るような事態になったら話は別ですが(誰もが無視をするとか、物理的に何か被害を受けるとか)、SNSを通して裏でコソコソやって自分の悪口を言われても、私だったら
卑怯者。俺に言いたいことは直接言え。
と考えるし、私も本人に言いたいことは直接言うので、言い方が過激ですがそんなことをする人を「人間」として見ていません。
相手がどのように感じるか。どのように思うか。
口に出して相手に伝えることは、相手の反応を想像しながら話します。
だからこそしっかりした友人関係が構築出来るのです。
もちろん。SNSで知り合った人とでも、じっくり話し合うことで友人関係を構築することは可能だと思っています。
しかし、裏表を使う人は私は嫌いです。
「私はこう思う。」と言ってくれる方が、辛くても受け入れやすい。
裏表を使い分ける人は、使い分けているようで、どこかでその端々が出てきます。
逆に言ってしまうと、その人は自分のアイデンティティーを失っている可能性がある。
誰かに併合し、誰かに依存し、誰かに執着し・・・
どこかのコミュニティーに属し認めてもらえなければ、「自分」を定義出来ない人とも言えるでしょう。
私は、そっちの方が「可哀そう」だと思います。
学生時代の情報の重みは意外と軽い
とても辛い状況にある人もいると思います。
なんとか一人ぼっちにならないように合わせて、追いついていくのに必死になっている人もいると思います。
さて、私はもうアラサーですけどね。学生の頃の知人たちと連絡をとっているか?と言われると、連絡はとっていません。
(頻繁にとっているか?という意味ね。)
その頃の話題についていけないことが、私の人生を左右したか?と問われると、「別に?そんなことはないよ?」と答えます。
冷たく聞こえるかもしれませんが、学生時代の「他愛もない話」は情報量が非常に少ないのです。
それがかけがえのない思い出になるのは、実際に顔を合わせ、相手の反応を考え、そしてコミュニケーションを図ることに大きなウェイトが割かれます。
「こういう言い方をすると人を傷つけてしまうんだな。」とか、「こういう表情や伝え方をすると上手く受け入れてくれるな。」とか。
そういった、人との付き合い方は、かけがえのない「青春の時間」となるでしょう。
だから極論を言うと、「SNSでハブられたっていいじゃない。」と私は思います。
そういうことをする人は、あまり想像力がない人なのです。
相手がどんな気持ちを抱くのか分からない。
相手がどんな受け取り方をするのか分からない。
そんな人達と無理に友人ごっこをする必要はありますか?
私は必要ないと思いますよ。
だって、あなたの「正直な気持ち」を受け止めてくれるでしょうか?
意見が違っても、「そう思うんだね」って優しく返してくれるでしょうか?
あなたはあなたの世界を持っているし、それは大人になってもそうです。
学生時代は時間があります。
そして、たくさんのことに悩みます。
ゆっくりゆっくりでいいので、自分と対話する時間を大切にしてみて下さい。
すると、自ずと「これでいいんだ。これが私なんだ。」って思えるようになるでしょう。
「自分を持っている人」は強い人です。
一人でも孤独を感じないし、友人がいるならなお楽しい。
自分と似た人が集まってくれますから。
大人になっても変わらない
私はSNS上で多くの友人がいます。
でも、「友人の基準」は学生の頃から変わりません。
その人の考え方や行動は、「言葉」ににじみ出てくるものです。
そして、話し合いをした時に真摯に向かい合ってくれるかで大きく分かれます。
リアルの友人も大事。SNSで顔を見たこともない人との関係も大事。
しかし、自分を疲弊させる関係に意味はありません。
無理に合わせなくていいのです。
自分の中で基準が出来ていれば、「SNS疲れ」というのは起きないでしょう。
私はね。結構、メールとかLINEとか短文なんですよ(笑)
正確に情報が伝わればいいと思うたちなので。
相談事などは、しっかり話し合いますよ?
でも、ちょっとした連絡はちゃっちゃか終わらせちゃうんですww
中には「この人は冷たいなぁ」って思う方もいるかもしれないけど、まぁ私はこんな性格なのでね・・・
ごめんね!(;・∀・)
結局、何が言いたいかというと、あまりSNSによって自分を過剰演出したり、過剰に合わせたり。
依存が発生して、ハブられるのが怖かったり。
そんなの気にしなくてもいいし、自分の生きやすいように生きようよって伝えたいのです。
最後に

自分を見つめることは、自分の芯を育てることになります。
自分は何を心地よいと感じるだろうか。
そして、深く考えられるようになれば、他人を思いやるという余裕も出てきます。
当然ながら、自分がされて嫌なことは、他の人も嫌なはずですからね。
もう少し進んでいくと、自分がされて嬉しいことは、他人にとっても嬉しいことかもしれないというステップに進んでいけます。
(あくまで、「かもしれない」ですからね。拒否されたら、それならそれでもいいのです。そういうのが苦手な方だというだけですから。)
だから、今はSNSで自分を無理に大きくさせるのではなく、自分を丁寧に見つめ直してみて下さい。
きっと、そうすれば「不必要に抱えている悩み」は溶けてなくなっていくかも知れません。
それでは、今回はこの辺で。
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