こんにちは。Milkです。
今回の衆議院選挙(2017/10/22)は自民党が圧勝という結果だったわけですが、少し気がかりなことがありまして・・・
それは、自分のスマホ。
私は「Google UI」を利用しているので、どの端末に変えても画面の見た目は変わらないようになっています。
毎度、各々のスマホでカスタマイズされた画面操作を覚えるのは面倒なのでね(笑)
さて、トップ画面で左にスワイプすると、「私が興味がある」と思われるニュースが一覧として出てきます。
確かに興味はあるんだけど、そこに「政治ネタ」が入ると気分的に複雑です。
それぞれに「好まれる」情報
説明をしなくても皆が知っている、検索エンジンサイト「Google」
Webサイトを常に巡回するbotと呼ばれる、サーチプログラムが動いていて、その情報の解析を行っています。
サーチエンジン(検索エンジン)と呼ばれるものには、GoogleやBingなどがありますが、YahooのサーチエンジンもGoogle製を利用したことにより、ほぼ「Google 一強」時代に入りつつあります。
(もう入っているだろうね。)
Googleの会社方針は「邪悪になるな」であるのは有名です。
会議の中でも、それは一般の人々にとって利益をもたらし、自分たちだけに利益が還元されるものになっていないか?と言う討議がなされるようです。もちろん、合言葉は「邪悪になるな」です。
確かに「私好み」の情報が出てくる
少し今回(2017/10/22)の衆議院選挙に触れてみましょう。
まぁ・・・私は個人的に「小池百合子」が好きではありません。
その議員としてのスタイルは、私が思う議員像とは乖離しています。
なので、今回の選挙結果に関しては、ある意味では「ざまぁ、見ろ!」的な気持ちがないとは言いません。
ただ、気になったのは選挙前にスマホに並ぶニュースの情報が、「希望の党劣勢」の情報ばかりだったことです。
確かに私が興味を持っているのをGoogleは理解しているし、そういったネタに私が飛びつきやすいのも解析済みだったのでしょう。
例えば、これが「希望の党」を応援する側の方にとっては、「希望の党は挽回を目指して奮起」と言った内容が並ぶのでしょう。
情報を自分で選別する前に、サーチエンジンに選別をされてしまっている。
そこに私は引っかかりを覚えるのです。
人は「心地よいもの」を見ていたい
よく「報道機関は偏向放送をしている!」と叫ばれますね。
まぁ、意図的に情報にマスキングをかけている感は否めません。
ですから、まだ付加情報が少ない「NHK」しかほとんど見ません。
皆さんの中には、今回の選挙で「池上彰」の登場する選挙特番を見て、楽しんだ方も多いと思います。
しかし、私はどうしても「バラエティー化」し、政治に関係のない情報が付加され、お祭りとして扱われることが苦手でtwitterを通して、「ふーん。そんな放送もしてたんだ。」ぐらいにしか情報は得ませんでした。
いつものごとく、「NHK」の選挙特番で結果を知るに終始しましたね。
さて、テレビはまだ自分たちで選ぶことでコントロールが効くとして、ネット情報は膨大すぎるために、それを意味のある状態にクラスタ化する必要性があります。
その為のサーチエンジンです。
ですが、サーチエンジンに「人々の嗜好」が付加された時、公平性は静かに消えていくのかなと思うのです。
私のスマホのニュース一覧が小池氏に不利なニュースで満たされたように・・・
言い方も難しいですが、私には満足な情報でしょう。でも、他の人が私のスマホを覗いたら不満のある情報だらけです。
人々は「自分が心地よい」と感じる情報に満たされていたいと自然と感じます。
Googleは、それをしっかりと満たしています。
しかも、各々にカスタマイズして。
しかし、はたと疑問に感じるのは、その情報に「中立性」はあるか?と言うことです。
情報に「中立性」は存在するか
喧嘩をしたら互いに悪い点があったのだから、「喧嘩両成敗」みたいなことによくなりますよね?
自分の視点だけで物事を見ないようにとも教えられたりするでしょう。
しかしながら、与えられる情報が既に選別済みだとするなら、他人の視点での情報収集は困難になります。
極端な例で言えば、中国の情報統制でしょう。
Googleはネットは必ずオープンでなければならないという信念から、中国でのサーチエンジンの展開をあきらめ撤退しました。
これは勇気ある決断です。
しかしながら、運ばれてくる情報については、コックであるGoogleの味で提供されます。
今日ご来店のお客様は、「ステーキ」が食べたいみたいだから、それに関するコース料理を提供しよう。
例えるならそんな感じです。
Googleはサーチエンジンの地位を守りたい。ネット上での支配権を何とかして自分の制御下に置きたい。
情報加工まではしないとしても、それは私たちにとって「偏った情報」が集まるのを助長していないか?と疑問に思うのです。

情報は既に「味付け」されている
そう思いながらも、そもそもの話。世の中に溢れている情報と言うのは、発信者の意図が何かしらの形で混入します。
事実だけを発信しようとしても、言葉の選び方一つで、その情報は大きく「味」が変わるのです。
そう考えると、情報に対して「中立性」を求めるのは無理な話なのかもしれません。
出来ることとすれば、私達がそれらの情報の正確性を意識しながら取捨選択するしかないのです。
例えば原発のことについて考えてみましょうか。
(私はこの討議で友人を1人失いました(-_-;))
さて、日本は非核三原則に基いて、核兵器を持たないとしています。
しかし、原発は限りなく核兵器に近い。
既に宇宙に衛生を打ち上げるロケット技術も十分に保持している。
もうお分かりですよね?
これを組み合わせれば、核弾頭ミサイルは出来たも同然。
いつでも核爆弾は開発可能です。
最悪、致死量の放射線量だけでいいのなら、使用済み核燃料を先端に詰め込めるだけ詰めて、ロケットでぶち飛ばせばいい。
爆発させなくても、致死量の放射線量の汚染攻撃はいつでも可能です。
まぁ、既に原発を稼働し制御しているのですから、原子爆弾のメカニズムは理解しているでしょう。
ですから、ある意味では「核保有国」なのです。
いざとなれば核爆弾は生成可能。これが一種の「日本の戦略的核による抑止力」としての側面でしょう。
これはあくまで私個人の意見ですが、日本としてはこのカードを手放すことはしたくないでしょう。
核兵器をおおっぴらに作ることは出来ない。
武器を作ることも慎重にしなければならない。
でも、「エネルギー利用」として運用を続け、ノウハウを蓄積することにすれば、他国に対して言い訳はいくらでも出来る。
まぁ、こんな話は口が裂けてもしないでしょうけど・・・
あくまで、原発は「平和的利用」のために使用していますから。
「原発事故があったんだ!原発を無くせ!」と、ある友人は言いましたが、私は「抑止力のカードを失うので、それはあり得ないだろうし、したらダメだろう。最終手段がなくなる」と言いました。
それ以来、その友人とは連絡が途切れましたね(笑)
確かにクリーンエネルギーの比率を高めるのは必須。
出来るなら原発の稼働比率をなくすことは大事でしょう。
しかしながら、意外にも日本は核に関する研究ではトップレベルなのです。
これを維持し続ける場所が必要となります。それは、あくまでカードを手放さないため。
お隣では、構わずロケットの先っちょに乗っけようと躍起になっていますが、日本も実は「いつでも俺たちも作れるよ。」と言おうと思えば言えるでしょう。

原発に関しては、他にもエネルギーの供給率の話も出てきます。
「ドイツなどは原発を減らす方向に前進してるじゃないか!」と言う意見もありますが、これは原発大国のフランスから電力を買っているから実現出来ること。
クリーンエネルギーの柱となる太陽光パネルですが、有毒物質を含むため、廃棄には特殊な処理が必要になります。
(付け加えると、今の太陽光パネルは、有毒物質の含有量が減っているため安全性は高まっているようです。)
何にしろ一長一短。
どの方向から見るかによって、原発は良い物にも悪い物にも見えます。
因みに、これは少し余談ですが、高校のときの化学の先生がもと「WHO」の職員でした。
彼は海外の様々な病気の発生源の場所の調査に入ったりしていたそうなのですが、外国人によく言われたのは、「なぜ、核兵器で攻撃されたのに、日本は核兵器を作らないんだ? 全く理解できない!」という質問だそうです。
「自分たちが経験した一番恐ろしいものに対し、対抗処置をとらないなんて、なんて無謀な!」と彼らの目には映ったのでしょう。
これもまた、新しい見方であり、ある意味では正しいとも言えます。
要するに、情報元がどのようにして発信するかによって既に「味付け」がなされているし、サーチエンジンは各々の好みの献立として、それを並べるという作業を行っているわけです。
今、こうやって私が書いた内容も、様々な情報がノイズになって中立性を欠いているでしょう。
書きながら思いましたが、情報に「中立」なんて存在しないのかもしれません。
最後に
1つの事象にたいして、影から見るか、光が当たっている方向から見るか。
あるいは、グラデーションになっている場所から見るか。
ある人は、白色と表現し、別の人は黒色と表現する。片や、あれは灰色だったと言ったりもする。
出来るだけ事実を述べたくても、人間を介した時点で「事実」は一部が切り取られ、パズルのように分散していきます。
そして、それをその人の好みに合わせてサーチエンジンは並べて、「美味しそう」に見せるのです。
「情報戦」
まさしくそうですね。いかようにも”事実”の表現は可能で、そして人々に心地よい物を提供できる。
私達の考え、そして判断する能力は、ますます意識し鍛えなければならないでしょう。
安易に相手の意見を否定しない。私の考えは偏っていないか考察する。
そう努力しても、人は何かの好みに流れるものです。
今までは、メディアを自分で取捨選択することである程度確保できていた安全圏が、インターネットと言う膨大な情報の流れに飲み込まれていく。
たった、スマホのニュース一覧なのですが、私にはそのように感じた瞬間だったのです。