こんにちは。Milkです。
こっそりブ活やってます(笑)
今日は、友人と少し認識の行き違いがあって、かなり反省&しょんぼりしています。
友人はとても優しいので、もう何も気にしていないし、許してくれていると思うんですけど、自分で自分をなんだか上手く納得させることが出来ず・・・(´・ω・`)ショボーン としています。
気持ちの整理とは難しいものですね。
私は、ネガティブに物事を考えがちなので、これを直したいと思っています。
冷静に物事を見て、納得できるまで最悪のパターンを脳内シミュレーション出来るという、ある意味では長所なんですが、これが強く出過ぎると、ただの引きずる面倒臭いやつです。
ここ数日、拗ねていた
私は怒ると怖いらしいのです。
なので、最近の癖になってしまっているのは、「怒る」のではなく「拗ねる」という行動に出てしまうのです。
実はここ数日、Renaと喧嘩?して、私が拗ねていました。
無差別に怒るわけにもいかず、でも気持ちが整理できず、黙って布団にくるまって寝るという行動に出てしまっていたのです。
でも、何かするとRenaをたくさん傷つけそうだし、なんだか最終的に別の方向を向いて、拗ねるという子供のような行動に出ていました。
過去は変えられない、けれど感情は湧いてくる
自分で言うのも恥ずかしいですが、Renaを大切にしたいと思っています。
彼女は持病を持っており、感情にそれが作用してしまうことがあります。
だから、リワークセンターに通いながら、自分の病気に関する参考文献と、彼女の病気に関する参考文献を並行しながら読むことにしています。
基本的に自分を優先してしまいますが、時間が空けばRenaの病気に関しても少しでも知識を入れたいと思っているのです。
そうすると、少しずつですが傾向と、彼女が置かれた現状。そして、どのように対処したら良いのかというのが段々と分かってきました。
一昨日、彼女がネガティブになったので、慰めつつ、私が疲れてしまったので、少しだけ口論になりました。
その時、Renaはバツイチですので、元旦那の話にもなったのです。
元旦那にとっては、私なんて何も関係ない人。
でも、私はRenaを大事に扱って欲しかった。
(もしそうなら、離婚なんてしないけれど。)
話を聞くと、過去のRenaと付き合った男性は、Renaの持病について理解をしようとしていなかった。
彼女は、ずっと一人で病気と闘っていました。
その判断には賛成できない
彼女と元旦那は、ある決定を下して、あることをしたことがありました。
それは、彼女の病状を悪化させる結果となりました。
でも、その事自体は、病気の特性を理解していれば容易に想像出来たことなのです。
元旦那に私は心で怒りましたし、Renaが元旦那に合わせようとして自分を変な形で犠牲にしたことにも、怒りが出てきてしまいました。
また、それらの決定が、元旦那のプライドを守るためだけにされた、彼女に一方的に犠牲を求める決定だったことに、幼稚さが見え、私は怒ってしまったのです。
何度も、「過去と他人は変えられない。」と心でつぶやきました。
だから、もう考えるのを止めようと思ったのです。
でも、なかなか頭から離れませんでした。
Renaに結局、怒ってしまいました。過去を責めても意味はないのに・・・Renaが可愛そうだという気持ちと、どうして自分を大切にしないのか?という怒りの気持ちが入り混じってしまったのです。
最後には、どうしていいか分からず、黙って拗ねる形をとってしまいました。
過去は変えられない。けれど感情は湧いてくる。
困ったものです。
ご安心下さい。今は2人で仲良く話をしていますし、仲直りしました。
認知行動療法
精神疾患の中には、物事の考え方を修正するという方法で、ストレスに対処するという治療があります。
それが、認知行動療法。
「うつ病」だけでなく、日常の生活の中で気持ちが落ち込みやすい人にも効果的です。
ここで大事な点は、ポジティブ・シンキング≠認知行動療法(適応的認知)ということです。
何でもポジティブに物事を変換して考えればいいということではありません。
これは話すと長くなりますが、極端に言うと、物事に対して発生した感情に、いかに「真実」の部分を抽出して、自分が「想像や憶測」でネガティブになっている部分を排除するかという方法です。
つまりは、確定的でない部分は、あくまで自分の憶測ですから、ネガティブに考える必要性はないのです。
切り離して対処することが必要です。
言うは易く行うは難し
さて、私のリワークの最終的な目標は、これを身につけることと思っています。
だから、今日の出来事も、友人が優しい言葉をかけてくれた時点で、憂鬱になる必要はないし、後は穏やかに話を進めればいいだけなのです。
Renaとのこともそう。過去のことは変えられません。彼女は自分を変えたいという意思を示してくれているし、今はそれを信じる時です。もし変わらなかったら?なんて、将来のぼんやりとした不安を持ち続けても、意味はありません。
でも、認知行動療法の専門書にも書いてあったのですが、人の核となる部分から自動的に感情は発生するので、人の本質を徐々に変化させないといけません。それには長い時間の訓練が必要であるとのこと。
簡単には身につけられませんね(汗)
最後に
少しだけ気持ちを整理したくて、記事を書きました。
リワークセンターに通うと、色々なものが見えてきました。
認知行動療法は、何か、まやかしや精神論の手法ではありません。
科学的な治療法として確立されたもので、私も最初は「気持ちの問題だろ?」って思っていたのですが、読んでみると納得することが多かったです。
実際に適用するには確かにハードルは高いですし、そう簡単に身につけられることではありません。その人の芯にある思考パターンを修正するということを、先ずは当人が受け入れなければなりませんから。
でも、そうだとしても私は自分を変えたいと思っています。
それがきっと、自分の成長になると信じて。
これが身につけられれば、私はもっと「穏やかな」自分になれるかな?
「強さ」を維持できるでしょうか。それは、きっと竹のしなやかさのような強さでしょうね。
硬く脆い強さではなく、柔軟にしかし粘り強い。
私の心が余裕を持ち、そして少しでも”事実”と向き合い、感情をコントロール出来るようになれたらいいですね。
さて、今後もリワークセンターで学んだことを、アウトプット出来るように記事を書いたりしますね。
今回はこの辺で。
adios!!