自分もブログを書くようになって、半年ぐらい?
同時期に始められた方で、何やらちょっと不快に思うコメントが寄せられるようになったんだとか。
「互助会だー。」とか揶揄されるようになったと。
私も、たまに嫌なコメントをもらうことがある。
このことについては、恐らく過去の方々は多くが議論してきたことだろう。
私は新参者だから、そのへんのことは分からない。でも、悲しいなって思うのだけはある。
はてなブックマーク
「はてなブログ」は、「はてなブックマーク」という機能が使えるようになっている。
もちろん、これは「はてなブログ」を書いていなくても、「はてな」の会員に登録すれば使用できる機能だ。
簡単に言えば、ブラウザのブックマーク機能をもっと大きくしたもの。そのWebページ版だと思ってくれればいい。
だから、「はてなブログ」以外で書かれた記事も、当然ながらブックマーク出来る。
面白いのは、「コメント」を付けてブックマークが可能なところだ。
後で見返すことができるし、twitterに連携すれば、その記事を引用しながらつぶやくことも可能だ。
最近、私のtwitterのつぶやき内容が、ブログ引用が多いのはこのためだ。
はてなブックマークの数
ちゃんとは見たことはないのだが、「はてなブックマーク」(以降、はてブ)が3つ以上になると、注目?と言うか、「この記事は読まれてるよ!」と言った、はてブのTOPページ欄に掲載してもらえるらしい。
ブログを書く人間からすれば、皆に見てもらいたいから、掲載して欲しいと思うのは当然だ。
私自身も、1つは自分でブックマークして、記事の概略等をコメント書きすることにしている。
後2つは気に入ってくれた人が、ブックマークしてくれたら嬉しいなって気持ちだ。
中にはこれを良く思わない人もいるらしい。互助会と揶揄して、相互にはてブすることで流入を支援してるんだ!って怒る人がいる。
私の周りのブロガーさんたちは、そこまで意識して、はてブすることはないと思っている。
結構、はてブの数はまちまちだからだ(笑)
面白いって共感してくれれば伸びるし、うーんよく意味が分かんない!って思ったらそこまで伸びない。
皆、思い思いの形で、スターとはてブを使い分けている。
仮にだ。もし仮に、そのように相互にはてブをしあっている状態を行っている人達がいたとしても、私はそれほど何か思うことはない。
だって、それはそれで楽しく遊んでいるコミュニティーじゃないか。そこに首を突っ込んでいって、わざわざ罵倒する意味は分からない。
自分は自分のお気に入りのブロガーさんの記事を読んで楽しむ。
それでいいじゃないか。
変に執着する意味が、私には分からない。
匿名性による虚像
皆、思い思いの形でインターネットを使っている。
私は、IT業界で仕事をしているので、インターネットとはデータ通信の道具というスタンスの捉え方が大きい。
そこの中で、自分を別の何かとして表現するという考えはあまりない。
けれども、コメントをもらったりして中身を見てみると、「この人は匿名性によって守られているから、この発言をするのでは?」と思うこともしばしばだ。
その発言に責任は持てるのかい?
今は消えてしまった(書いた人が削除した?)のだが、ある日の記事で「はてなブロガーって本当にはてなの空気を分かってない。」ってコメントを書かれたことがある。
最初読んだ時は、まぁ正直に言えば不快。そして、もう一度読んだら、自己矛盾が発生しており、更に不快。
「はてなの空気」の代弁者のように振舞っているけれど、貴方がその代表者なの?
そもそも、「はてなブロガー」が記事を書くことで、「はてなの空気」の一部を構成しているのでは?
ちょっと意味が分からなかった。
私の個人的な見解だが、匿名だからといって何を言ってもいい、何をしてもいいってことじゃないと思っている。
顔が互いに見えないからこそ、礼節を重んじるべきだ。
相手はどのように受け取るだろうか。批判するなら、建設的な批判を行うべきだ。「こういう理由で、この部分は間違ってると思うよ?」って伝えてあげればいいじゃないか。
それを、「こいつは低能だ。」とか「全く分かってない。バカだ。」と言った発言で、何も価値を生み出さない状況にしてしまう人達がいる。
それだけの意見しかないなら、そっとそのページから離れればいい。君たちがやりたいことは、ただ日々のストレスを、何かにぶつけたい。それだけだ。
よく考えて欲しい。リアルの状況で、同じ発言をするのかい?
顔を見て、目を見て、同じように言うのかい?
恐らくは違うだろう。初対面の人間に対して、「お前はバカだ。低能だ。」だなんて発言すれば、失礼すぎて話にならない。
でも、ネットではそんなことをする。
匿名性はその人の本質を炙り出す。自分が守られていると錯覚を起こし、自分の天下だと勘違いを起こす。顔を隠してゼロベースの人間関係で不快にさせるなら、リアルな関係で不快感を与えないわけがない。
君は上手く隠せていると思っているかも知れないが、人の真の姿、心の気持ちは、ちょっとした隙に漏れ出てしまうものだ。
仮に、鉄壁で漏れないとしても、人を見下したような心の状態で生活することに楽しみはあるのだろうか。
お節介だと言われるかも知れない。
でも、私は確実に、そのような状況はその人の生活の幸福度を、自ら下げていると思っている。
常に何かに苛立ち、不平が心に渦巻いている。
物事を肯定的に見ることが出来ない。
あなたの会社や近所にもいるでしょう?会議をしていても、否定しかしなくて、その場の状況を崩すことだけを目的にしている人。
その人は悲しい人だ。もちろん、私もそんな人とは関わりたくはないし、有意義な時間は過ごせないと思っている。
最後に
私がこの記事で言いたかったことは、「なぜ己は自由に振る舞うことをして、相手には束縛を求めるのか?」と言うことだ。
自分の価値観。自分の思考。それに合致しない人間を排除したがる。
それぞれが、それぞれのコミュニティーを構成していていいじゃないか。
そこが合わないなって思うなら、そこから離れればいいし、次のコミュニティーを探せばいい。
人は様々なんだ。しかし、様々だからこそ、建設的に議論し、互いに尊重しなければならない。相手の意見に対し、肯定でも否定でも、相手の気持ちを汲んで話をする。それが、大事なんでしょう?
自分の価値観で、相手を根本から否定することはしてはいけないと思うのだ。
それは、逆に自分も受け入れてもらえない状況が発生するという可能性があるということだ。
そして、ネットの中でしか大きくなれない人間になってはいけない。
その虚栄心は、あなたを最終的には苦しめるだけだと思うから。
まとめて言いたかったことは、皆と仲良く楽しくしたいな。
そう思うってこと。