楽しく購読させていただいている方の記事に、こんなのがありました。
読んでいて、非常に鋭いポイントを突いていると思いました。
大学に進学するきっかけ
実は私は、塾の講師がしたくて大学に進学しました。
父の仕事を引き継ぐことも考えたのですが、上手く父と仕事をやっていける自信がなく、その道の学科に入ることに対してあまり熱を持てませんでした。
最初のうちは、A判定をもらったりして、その学科に入ることはある程度余裕があったのですが、やはり勉強に熱が入らず、途中からズルズルと学力が落ち始めたのです。
大学に入る意味を見出だせずにいました。
中学生の時にある先生に出会った
高校受験のために、中学2年生の時に祖母に頭を下げて塾に通わせてもらいました。(その頃は極貧でしたんで。)
そして、塾の先生に衝撃を受けたのです。
その人は型破りな英語の先生でした。
大柄で少し太っている、そして天然パーマのもじゃもじゃ頭の先生でした。
でも、子供のようにはしゃいで、そして熱い先生でした。なんと、その教室の塾長だったんです。
ちょうどその頃、私は非常にひねている子供でした。
極貧な生活の影響もあってか、「お金の切れ目は縁の切れ目」を経験した中学生は、斜に構え、そして大人が大嫌いでした。
平気で嘘をつき、騙し、騙される方が悪いと言われ、お金のためならば何でもする。
また、祖父が亡くなった時にも、とある親戚一族が相続についてこれでもかというほどに汚い手を使って奪いとろうとする姿を見ました。
正直に生きている人間が馬鹿を見る。
こんな世の中なんて消えてなくなればいい。
そう思っていたのです。
軽い対人恐怖症でしたし、全てが嫌いでした。
誰も何も分かってくれない。
気持ちを分かってくれる、そんな人なんていない。
皆、自分のことばかり。
でも、それを変えてくれたのが、その型破りな先生だったのです。
先生は気さくに私に話しかけてくれました。
私は、多分最初はもじもじしていたと思います。
質問したくても、なんて話しかければいいのか分からない。
あの先生はとっても魅力的で面白い人だ。今まで出会ったことがない。
だから、仲良くなりたい。
先生は向こうから話しかけてくれました。
「Milk。どうしたんだよ。この間な、◯◯なことがあってねー。俺は××したんだよ・・・」
笑って話をしてくれる人でした。
こんなねじ曲がった性格の私にも、差別することなく自然に話しかけてくれたのです。
「Milk。いつでも質問にこいよー。何でも教えてやるから!!遠慮なんてするな!」
その先生は本当に不思議な人だったのです。
世界を旅して周ったりしたと言っていました。本当に様々な経験をしてから講師になったようで、話のネタは尽きることがありませんでした。
彼は実は重い糖尿病を患っていて(これは卒業後に知りました。)医師から、「このままでは失明するぞ。真っ暗なカーテンがかかったようになるんだぞ!」と怒られたそうです。
そうすると、医者に向かって「そのカーテンをチラッっと開けられませんか?(笑)」と答えて、大目玉を食らったそうです。
そんな先生でした。
私の気持ちが変わる
私の勉強に対する気持ちは大きく変わりました。
確かに勉強をして成績が上がることも嬉しかったのですが、先生たちが喜んでくれるのが一番に心に響いたのです。
そして、頼ってもいい、そして信じられる大人もいるんだ・・・という気持ちになれたことが、やはり私の心を掴んだのだと思います。
私は4クラス編成のうち、成績で1番下のクラスから始まりました。
がむしゃらに勉強して、最終的には上から2番目のクラスに入り、最上位のクラスに入れるか入れないかというところまで掴みかけて受験を迎えました。
多くの個性的な先生が在籍するその塾は、私の中でかなり大きく影響を与える存在になりました。
なにより、先生たちが自分の身を削ってでも献身的に子供たちに接する態度に、私は素直に感動してしまったのです。
塾講師になるために大学に行く
俺は何になりたいんだろう。何をしたいんだろう。それが分からない。
何も目標を持たず大学に行って、奨学金を借りて、親のお金まで使わせて、無駄な時間を過ごす。
そんな親不孝なことは出来ない。いくら、親父の仕事が安定してきたからといっても、いつ昔の状態に戻るか分からない。
それならば俺は働いたほうがいいのか?
どうしたらいい?
弟も妹もいる。下の子達は俺のことを見ている。俺が道を切り開かないといけない・・・
さて、どうしよう。どうしたらいいんだろう。
私は、ふと中学生の頃のことを思い出しました。
あの時は、本当にがむしゃらに勉強できた。なんでなんだろう。
目標があったからか・・・目標ねぇ・・・今の俺に何があるんだろう。
でも、明らかに今の俺の変換点はあそこだ。
あそこにいてくれた先生たちが俺を変えてくれた。
そうか。そんな受け止めてくれる人が子供たちには必要なんだ。
少なくとも俺には必要だった。
えーっと。塾講師になるにはどうしたらいいんだろう。少なくとも大学は出ないとな。
そうじゃないと通わせる親御さんが納得しないだろう。
よし。大学に行こう。行って塾講師のアルバイトをしよう。そして、昔自分を変えてくれた、そんな塾の先生になろう!
そう考えるようになったのです。
塾講師時代
何とか間に合って、私は地元の国立の大学に合格することができました。
大学は大学で勉強は面白かったですよ。より専門的な勉強になるため、奥が深いなぁと思って自然と興味が湧きました。
そして、念願の塾講師のアルバイトもしたのです。それは、昔通っていたあの塾でした。
当然ながら、当時の先生方とはメンバーは代わっていましたけど、やはり個性的な人だらけでした。(個人経営の塾ではなく、県で最大手の塾でしたので、先生方の移動があるのです。)
最初は沢山失敗しました。
全然、生徒は話を聞いてくれません。自分のしたいことを自由に始めてしまったり、個人でのレベルのばらつきに対応できず、面白くないと言われてしまったり・・・
個別指導ではなく、二十数名のクラスを教える授業形式であったため、どうしたら子供たちに興味を持ってもらえるか真剣に考えました。
そして、他の先生の授業に参加させてもらい、一番後ろの席に座って生徒に混ざりながら「授業ノート」を作っていました。
後は、独りで居残りをして黒板に向かって、図形や板書の書き方をもくもくと演習しました。
私の専門は理科でしたので、図形や実験器具をシンプルに、そして正確に描くことが重要でした。
また、中学生の理科は暗記が多くなってきます。いかに語呂がよく、覚えやすいフレーズを作れるかを日夜考えていました。
そのかいがあり、生徒もだんだんとこちらに視線を向けてくれるようになったのです。
子供が心を開いてくれるようになった
私が心がけていたのは、”真剣”に子供に向かい合うことです。
彼らにとって、高校受験は1回です。しかし、私には、来年も再来年もあります。
そんなことを思っていたら、子供たちは敏感です。自分のことを本当に思ってくれていないと感じて、直ぐにそっぽを向いてしまいます。
だから、彼らに正直に話すようにしたのです。
「俺には、来年も、再来年も受験がある。でも、君たちには1回しかない。だから真剣に努力しなさい。君たちが努力することに俺は全力でサポートする。休みの日に出てきて欲しいと言ってくれれば、俺は喜んで来るよ。授業をして欲しいと言ったら、いつでもするよ。俺は君たちを精一杯応援するつもりなんだ。だから、いつでも質問しにおいで、そしていつでも話しかけにおいで。」
待つのもしませんでした。積極的に話しかけに行きましたし、「俺のこと嫌ってるな」って子に対してはちょこちょこちょっかいをかけに行きました(笑)
卒業の時に生徒たちのメッセージでいっぱいになった色紙を貰いました。予想していませんでした。
「先生の授業は熱くてとても心に響きました。先生のおかげで頑張れました。ありがとうございます。」
泣きそうになりました。泣いてしまったかも知れません。
ある時は、私の住所が分からないからということで、塾宛てに年賀状が届いていたこともありました。
「僕は理科が嫌いでした。でも、先生の授業は分かりやすくてとっても好きです。少しは成績良くなったと思います。すごいでしょ!」
中学1年生の汚い字で、一生懸命に送ってくれました。(笑)
その後、合計で3年間アルバイトをしました。
塾講師を志していたのですが、雇用形態の実情、そして賃金についてなどの現実を見せつけられ、このままでは生活できない(一人ならなんとかなるが、家族を養うのは難しい・・・)と考え、泣く泣くその道はあきらめることにしました。
勉強を頑張るためには?
勉強が大好きって子供は、そう多くはいません。
ほとんどいないと思っていいでしょう。
塾に通わせる時に考えて欲しいのですが、塾に行く目的を子供が持たなければ、成績の上がり具合はまったく別次元になります。
「塾に通わせれば成績が上がる。」ということは100%ありません。
その子がやる気になるか、ならないかで全てが決まってしまいます。
そのやる気を引き出すのが、塾の先生なんでしょ!と言われるかも知れません。
確かに半分は合っていると思います。しかし、もう半分は間違っています。
それは、親御さんの勉強に対する認識によって、子供の動機付けの効果が半減するからです。
あまり言いたくはありませんが、塾に”連れてこられた”生徒は8割方成績は伸びません。
自分がしたいと思ってるわけではない。
↓
塾にとりあえず時間だけ過ごしに行く。
↓
家に帰ると勉強についてあれこれ言われる。
↓
とやかく言われたくないから、塾にとりあえず時間を潰しに行く
このループにはまるからです。こちら側で与えられる動機付けにも限界があります。
裏を返すと、親御さんとお子さんとで過ごす時間は、それほど意味を持っているということなのです。
勉強が嫌いな子供たちへ
君が勉強をしたくない理由はなんでか考えたことはありますか?
それは、将来に勉強が役に立つように思えないからかもしれません。
それとも、誰か嫌いな先生がいるからかな?
または、「勉強しなさい!!」って怒られるからでしょうか。
少し自分の頭で、ゆっくりでいいですから考えてみて下さい。
君はこれから先、どのようにして生活したいですか?
何になりたいですか?
お父さん、お母さんから、「この仕事をしなさい!」とか、「この高校(または大学)に行きなさい!」って言われているから目指しているのですか?
まずはそのことは置いておきましょう。言い方は悪いですが、貴方の人生です。貴方に決定する権利があり、義務があります。
もし、誰かから何か言われて、それに従ったのだと思ったら、順調に物事が行かなくなった場合にどう思いますか?
「あの人がこれをしろって言ったからだ。そうだあの人が悪い。」そういう風に思いませんか?
それは、言い訳にしかなりません。そして、その言い訳をしたからと言って人生が変わるわけでもないのです。
成りたいものが有った場合、どれほど本気ですか?
周りに反対されても貫き通すだけの覚悟はありますか?
そして、大事なのはそれで食べていけるか?ということです。
夢は誰しも持ちます。そして、その夢を叶えたいと思うのです。しかし、現実で叶えられる人はごく僅かです。
貴方のお父さん、お母さんはそれを心配しているのかもしれません。
人を説得するには、感情だけではダメです。納得させるだけの根拠が必要なのです。
例えば、ミュージシャンになりたいと思っているとします。その夢はとても素晴らしいです。
実は私は、その道に進みたい、その道の専門学校に行きたいと思っていました。(音楽のMIXエンジニアになりたかったのです。)その為には、県外へ出る必要があったのです。でも、金銭的な理由で言い出せませんでした。
でもそれは言い訳です。言い出せなかったことは自分の責任です。
本当は、その専門学校に通うにはどれだけの金額が必要で、そして県外で生活するためにはどれだけの費用がいるのかを調べれば良かったのです。そして、どうか通わせて欲しい、こんだけの費用が必要なんだ。でも、どうしてもこの仕事がしたいんだと頭を下げてでも懇願するべきだったのです。
それをせずに諦めました。それは私の責任であり、その覚悟がありませんでした。
成りたいものが無い場合、どうしたら勉強できるでしょう。
今やっている勉強は、意味がないと思いますか?
実はそんなことはないのですよ?全て意味があります。
仮に読んでいる貴方が中学生だとすると、まだまだ将来のことは想像つかないかもしれません。
でも、今でも私は仕事で中学校で習ったことを使うことは多いのです。
例えばプログラミング。これは、中学校で習うような数学の知識がないとプログラミングが出来ません。
また、英語も出来ないといけません。プログラムは基本的に英語で書きますから。そして、新しい技術は全て英語です。
楽しいことをしようと思ったら、避けては通れないのです。
別にプログラムに限定した話ではありません。貴方が今の勉強を頑張れば頑張るほど、将来に選択できる物事の幅は広がるのです。そのことだけは覚えておいて下さい。
今、勉強を放り投げると、将来”これをやりたい!”と思っても手遅れになることが多いのです。
ですから、今は自分の将来の選択肢の幅を増やすために、勉強を頑張って見て下さい。
別段、”将来のために!”なんて大げさでなくてもいいのです。
あいつには成績で負けたくないな。とか、あの先生を見返してやるんだ!とか、そんなことでいいのです。
ただ、”学校の勉強は将来役に立たない”という大人がいたとしたら、それは大嘘つきです。勉強をして無駄な時間はありません。
今でも私は勉強をし続けています。
たまに、高校や大学の教科書を引っ張り出してきて、復習することもあるんですから。
だから、貴方も勉強が大変ですが、決して一人ではなく、大人たちも一生懸命に勉強し続けていることを覚えていて下さい。
勉強をしないと嘆く親御さんへ
子供は基本的に勉強が嫌いです。
それは当然だと思います。遊んでる方が楽しいですから。
でも、勉強をさせたい気持ちも分かります。
大事なのは、勉強をしているのは子供だけではないということを認識させてあげることです。
子供は親の背中を、本当に良く見ています。
勉強をしなさい!と言いながら、親が勉強に対して積極的でないスタンスをとっていれば「どうして僕だけ(私だけ)やらなくちゃいけないんだよ。」と思うのは当然です。
自分の頃はね・・・なんとか・・・かんとか・・・と話を続けたとしても、「それは貴方の場合でしょ?」と思われてしまいます。
その子にとっては、”今”という現実ではないからです。
大事なのは、その子にとっての”今”という時間です。
私が大きく影響を受けたのは、やはり父親でした。
彼の勉強量は半端ではありませんでした。いつでも参考書片手に、勉強していましたし、分厚い法律の本が幾冊も積み上げられていました。
その背中を見て、「大人でも勉強はするんだ。俺より沢山やってるじゃないか。俺が勉強しないのは良くないな」と子供ながらに感じたものです。
父や母は勉強についてあまり怒ったことはありませんでした。勉強しろと言われたことはなかったのです。
これは、塾に通い始めて逆に焦りました。「思った以上に周りは勉強してるぞ。このままではいけない。」と思ったのです。
塾講師をするなかで、よく相談されるのは「この子は勉強しないんです。」とか「いつも勉強しなさいって叱るんですけど、一向にする気配がないんです。」と言ったものです。
これは、そのまま自分に置き換えて考えて欲しいのです。
自分が子供の頃はどうだったのかを思い出して欲しいのです。
そう言われて、貴方は勉強しますか?ガミガミうるさいなぁ!!って思ってしまうのではないでしょうか?
「勉強しなさい!」というアプローチの仕方よりも、”親”と”子”という対話の形で話をした方が、すんなりと受け入れやすいと思います。
例えば、「自分は昔勉強しなくて、今こんなところで苦労しているんだ。」とか、「お前がしたいことって何なのか興味があるんだ。教えてくれないか?」とか、その子が”自分に興味を持ってくれている。そして、自分のことを心配してくれている”と感じさせてあげられるかが大事だと思うのです。
そうすれば、少しずつ「お父さん、お母さんの言い分にも一利ある。少し試してみよう。」と思うかもしれません。
大事なのは、その子がその気になることです。
長々と話をしてしまいました。すみません。
やはり、子供たちには、”信頼できる大人”の存在が必要だと思います。
その一番身近な存在が、お父様、お母様であることは間違いありません。
どうか、その絆をしっかりと強めていただきますように。