改めて、自分が何を目指して歩いていくのかを考えてみた。
というお話。
「Milk」というハンドルネームを使い始めて、10年以上が経とうとしています。
自分が二十歳の時、新しいことにチャレンジしたくなりました。
それが、「作曲&MIX」であり、リスナーからクリエイターになりたいという気持ちを具現化した第一歩だと思っています。
有名になったわけではないけれど、私自身の中では「自信がついた」のを覚えていますし、今でも一つのスキルとして活きています。
さて、今現在はシステムエンジニアとして働きながら、Vtuberとして配信をしています。
色んな技術に興味が湧いて、あれこれと試しているうちに、気づいたら「Vtuber」になっていました(笑)
何が自分を「動かす」のだろう
多くの方々と触れ合い、そして私の中でいつも問いかけていた質問。
それは、「何が貴方をそこまで突き動かすのですか?」ということ。
この問に関して何かしらの形を答えてくださった方々とは、今でも交流があり、私自身も励まされています。
自分自身にも問いかけるようにしています。
「お前を突き動かすものは何か?」
「今、お前を突き動かす何かはあるか?」
先程も述べましたが、私はクリエイトする方が好きな人間です。
テレビでサッカー観戦してると、サッカーがしたくなる方です(笑)
楽しみ方は人それぞれなので、そこを何か言いたいわけでもありません。
でも、昔から自分自身に対しての疑問でもありました。
居場所をもとめて
色んな経験を経て今の私に行き着くのですが、割と「居場所」を上手く見いだせなかったうちの一人だと思っています。
少し特殊な幼少期だったので、周りと心から打ち解けられた機会は少なかったと思います。
社会人になり、仕事を一生懸命にやって周りに認めて欲しかった時期もありました。
誰よりも貪欲に仕事をしたと思っています。
でも、身体が壊れたときに手元に何も残らなかったという感覚に襲われました。
誰かに認めて欲しいという気持ちが人一倍大きかったのだと思います。もっとよく使われる言葉で言い換えると「居場所が欲しかった」のだと思います。
ある程度大きな案件に携わったこともありますし、今でも社会インフラを支える重要なシステムに関わっています。
でも、何か「違う」という気持ちでいっぱいになっていました。
もっともっと基本的な部分が足りていないような・・・
原動力は「居場所」だったかもしれない
何でも興味のあることはチャレンジする方です。
やって初めて分かることがたくさんあるから。
曲をつくったり、仕事をがむしゃらにやってみたり、ボランティアを立ち上げてみたり・・・
各々で「ここまでは出来た」という感触を得てこられたことは幸運だと思います。
自分なりに区切りを付けて次へと進んで来ました。
交響詩篇エウレカセブンというアニメをご存知でしょうか?
その中で、聖書の言葉をもじったセリフが出てきます。
「ねだるな。勝ち取れ。さすれば与えられん。」
もとの言葉は、「求め続けなさい。そうすれば与えられるでしょう。」というもの。
なぜこの言葉は語られたのかは、その国の風習まで手を伸ばさなければならないので割愛して・・・(笑)
「ねだるな。勝ち取れ。さすれば与えられん」は、自分を端的に表しているような気がします。
ないならば自分で生み出すまで
という気持ちが根っこにあり続ける自分です。
もちろん、多くの方々に助けて頂いて来たことも忘れていません。
自分が興味が湧く事柄や打ち込んできたこと。それを並べて行った時に、「居場所」という単語が浮かんできました。
楽しい時はもっと楽しくなるように。
疲れた時はホッとするように。
問題が瞬時に消えてなくなることはないけれど、エネルギーを補充出来る場所を無意識に求めていて、自分が認められたり、自分の領域が攻撃されない安心する空間を探していたのだと思います。
探して見つからないならば、そのような場所をつくるまでのこと。
どうやら、自分はそんな基準で動いてるような気がします。
「#みるカフェ」を始めるよ
ボランティアを立ち上げるきっかけは、まさしく上記のような理由であり、「個々の居場所が安定して初めて前を向くことが出来る」という思想のもと活動を始めました。
そもそもが精神疾患の方や関係者だけに絞ったコンセプトではなかったのです。だって、精神疾患という部分で何か壁がある事自体がナンセンスと思っていましたから。
しかし、認知や理解のしやすさという点から、ある程度のフォーカスを絞る必要性が出てきたので、Twitter上でのコミュニティである「#Milkカフェ」タグが成立し、これは精神疾患に関わりのある方々(支援者も含む)が相互に上昇の補完関係を築く場所として運用しました。
規模や運用について試行錯誤を重ねて数年の経験を経て、最終的には「終了宣言」をしましたが、今でも「#Milkカフェ」タグは生き続けており、感謝しております。
「カフェ」ってとても理解しやすい空間だと思うのです。
ゆっくり本を読んだり、気軽におしゃべりしたり、なんとなくBGMを聞いていたり・・・
思い思いの形で空間を楽しむ。
もちろん、その空間を皆で形つくるためのルールもあります。
気軽に立ち寄って、「じゃぁ、また気が向いたら来るよ!」って帰る。
自分にはお気に入りのカウンターバーがありました。疲れた時でも嬉しい時でも、「なんとなく寄って帰るか!」って場所でした。
独りで行くことが多かったけれど、マスターと話をしたり、ぽかーんとBGMを聞いていたり、その場の人と仲良くなって話が盛り上がったり。そんな、「良い時間だったな」と感じて帰ることが出来たのを覚えています。
色んな人がいたけれど、その空間の一員ということは共有していたと思います。
緊張しまくって初めて足を踏み入れた時に、「いらっしゃい!」って笑顔で迎えてくれたマスターや、「ここ座る?」って席を移動してくれたお客さん。
色んな優しさで受け入れてくれたのが嬉しかった。
そんな場所を見つけることが出来たら、きっと毎日がもっと元気が出る。だから、「#みるカフェ」なんです。
マスターが「楽しむ」こと
その空間が素敵に感じたのは、やはりマスターが楽しんでいたことだし、マスターに魅力があったから。
飲み物について色んな知識があって、それが大好きで、話をしていて楽しくて。
私なら個人的に飲むので終わりになると思うけれど、マスターは好きだからこそ、沢山の人と共有したいと感じてお店を持ったのだと思います。
「#みるカフェ」が提供するものは、直近ではゲーム実況や雑談配信などが中心でしょう。
でも、「居場所」という点がベースにあるので、今後も様々なことにトライすると思います。
挑戦し続けることは楽しいことですから。
あと大事なこととして。
収益化を目指します。
これって意外と勇気が必要な宣言だったりします。
なぜ自分はお金を頂いてもいいのだろうか? 何かを提供出来ているのだろうか?
そんな疑問を自分に対して感じていました。
もんもんと考えていたのですが、ある種の答えが出ました。
「空間を維持したり、提供するために時間を割くことを、全て無償でまかなうのは現実的な話ではない」からです。
これは無償ボランティアを行っていたときに感じたこと。
ボランティアは有償であることを前提としなければ、長く維持できない。というのを実際に経験し、活動を進めるなかで得た知見です。
活動が盛り上がるよう維持するだけでも、様々な部分でお金は必要になってきます。
なにより、人の時間とは「有償」であること。それが互いへの敬意になるのだとも思います。
そんなことを色々と考え、いつか「居場所をつくること」が仕事として本格的に取り組めたらと思っています。
最後に
「#みるカフェ」が始まります。
一つのコミュニティとして「#みるカフェ」というつながりが出来たらと思います。
ともに時間を共有する仲間として。
心地よい居場所を創る仲間として。
私の動画や配信などの話題を楽しむ仲間として。
気軽に「#みるカフェ」のハッシュタグをお使い下さい。
これを読んでくださった貴方に出会えることを、心からお待ちしております。