Milkのメモ帳

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【視聴】「きっと、うまくいく(3 Idiots)」


前からずっと気になっていたのですが、インド映画ということでなかなか手が出せず・・・

意味不明に突然踊り狂う映画ばかりという(勝手な偏見・・・)、思い込みがあったんですねぇ・・・; すみません。

結論から言うと、最高に良かった!

基本的に、物事を笑い飛ばして「All is well」(きっと、うまくいく)と信じて生きていくのさ!という話。

根底には、非常にディープな問題があるのですが、見終わった後に尾を引く感じはありません。

スカッと晴れ晴れとした気持ちにさせてくれます。


概要

大学を卒業した数年後。ファランに、チャトルから母校の大学に来るように連絡が来る。チャトルによると、大学時代の友人であるランチョーが帰ってくると言うのだ。

しかし、ランチョーは大学卒業後に音信不通となり、どこに住んでいるのか、そして生きているのかも分からなかった。

ファランは、ランチョーと共に3バカトリオとして親しくしていたラージューに連絡を取り、ファランとラージューの二人はチャトルに、指定された母校の屋上に呼び出される。

10年前にチャトルと、ランチョー、ファラン、ラージューはある約束をしており、それが今日だと言うのだ。

その約束とは、チャトルと3バカトリオのどちらが社会に出て”優れた人間”になれたかを競い、それを10年後に見せつけ合おうというものである。

チャトルは今、わずか数年で会社副社長になっており、有名な外車を乗り回していることを自慢する。そして、ランチョーはきっと落ちぶれていて、来る勇気もないだろうと言い放つ。

チャトルは、仕事の関係でランチョーが現在住んでいる場所が分かったので、これから我々でそこに行って笑いものにしてやろうと提案する。

ファランとラージューは、ランチョーに会いたいという気持ちで、チャトルについていくことにする。

チャトルが運転する外車の中で、ファランとラージューは大学時代のランチョーとの大事な時間を回想する。

はたしてチャトルとランチョーの間には、どんな事件があったのか。

何故、ランチョーは大学を卒業後、姿を消してしまったのか。

ランチョーは、今何をしているのだろうか。

大学時代の思い出と、ランチョーの今を追う中で、謎が次々と解けていく。

 と言ったところが概要でしょうか。

感想(ネタバレ含む)  

この映画のすごいところは、現代のインドが置かれている状況(社会問題)に対し、真っ向から立ち向かっている映画だという点だ。

扱われている問題は、

  1. 貧困問題
  2. 学歴社会(競争第一主義)
  3. 職業選択への親の過干渉

である。

インドで1番の工業系の大学(日本で言う東大なのかな?)に通う学生達の話なので、基本的に成績優秀で周りからすると優等生なのである。

ラージューは貧困層の出身である。父親は首から下が麻痺し仕事が行えず、母親一人の収入に頼っている。また、姉は結婚するときの持参金が不足し(映画の中では車が必要となっている。インドではそういう文化があるのかもしれない。)、結婚の話が止まってしまっているという家庭だ。

ラージューは家族にとって希望の星であり、その重圧に耐え切れず彼自身は効果が不明な神頼みが多くなってしまう。

ファランの親は、子供が生まれたら男子ならエンジニア、女子であれば医者にすると決めていて、それが子供の幸せなのだと信じきっている。ファランは自然や動物の写真を撮ることが大好きで、本当は写真家になりたいとずっと思っていたがそれが言い出せずにいた。

ファランの親は、彼の部屋に唯一のクーラーをつけてあげた(つまり、彼に不自由がないように自分を犠牲にしてきた)と話をし、ファランを思うがためにエンジニアになるべきだと力説する。

もう一人大事な人物がいる。

それは大学の学長である。彼は、低迷していた大学の成績を、自分が学長になり競争させることで、インドで1位の学力に引き上げたという実績と誇りを持っている。

だから、生徒が入学した際に彼らに、こんな話をする。

「かっこうについて知っているか。かっこうのひなは、自分が先に卵から出た後、まだ生まれていない卵を巣から落とす。つまり、全ては競争であり、生きるか死ぬかなのだ。君たちは、競争に勝ち続ける必要がある。競争に負けたものは死だ。」

ランチョーは風変わりな男で、彼らの問題に対し「All is well」と答えて行く。

そして、ラージューとファランを励まし、学長とは闘いながら、学問に対する考え方や社会問題に対し立ち向かっていくのだ。


ランチョーの思うこと

ランチョーの言うことは何も難しくない。

学ぶということは、その学問を愛することなのだと言う。でも、この大学では、答えの出し方を教わるだけで、本当の学問を教えていないと批判する。

ファランとラージューには、人の心の弱さについて話をする。人の心は弱いし、怖がりなんだ。だから自分で自分の心を騙してあげるのさ。「All is well」(きっと、うまくいく)ってね。

その時の歌がこれ。


 ここで自分が好きなのは、「鶏は産んだ卵が、ひなになるのか目玉焼きになるのか知らない。」という部分だ。

つまり、未来はどうなるか分からない。だったら、心配して何もしないのではなくて、「All is well」と心を励まして上げたほうが良いじゃないか。自分はそういう意味だと解釈した。

色々な問題があるけれど、同じ時間でも前向きに生きたほうが楽しいよ。

そう言ってくれているように思えた。

最後に

皆さんはどんな感想を持つだろうか。

では、今回はこの辺で。

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